昔の韓国の旅は、歩くか馬の背を借りるのが普通であった。私の若いころ、村から邑内までの30里(約12キロ)を祖父に連れられて歩いたことがあったが、ほとんど半日かかったことを憶えている。
その後、邑内まで「新作路」が出来、はじめは日本人車夫の乗合馬車が通っていたが、いつのまにか幌屋根の初期のフォード自動車がこれに変わり、今度は運転手は制服制帽姿の韓国人であった。彼は村の人に大変人気があり、停留所のある村はずれの酒幕に車が止まると、私達子供らは走っていって、帽子を脱いで運転手にお辞儀をしたものである。
この酒幕を私は最近訪ねたことがあるが、道はアスファルトになり、建物も近代式に変わった酒幕の店頭には、アイスクリームの広告看板が立ててあった。
この道、進永から金海に抜ける道路を車で走る私の網膜には、60年前の祖父と歩いたとき、松林の中での憩いの一時が映って離れなかった。
画・文
木丁・金龍煥
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