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第99周年 三一節記念式典 2018/03/02
 
第二部は講演会

 99年前の1919年3月1日は、植民地支配下の祖国で私たちの先烈が独立万歳を叫び総決起した歴史的な日です。その「第99周年 三一節記念式典」がウィンクあいちで行われ、県下の役員・団員と来賓ら200人が参加しました。

 第一部の記念式典では、名古屋韓国学校の李孝心校長による「己未独立宣言文」の朗読と、駐名古屋韓国総領事館の鄭煥星総領事による大統領記念辞代読、民団愛知県本部の朴茂安団長の記念辞に続いて決議文(下記参照)を満場一致で採択しました。

 第二部では「多文化共生と地域福祉~韓国と日本の移民政策の課題」と題した講演会を開催、金城学院大学の朝倉美江教授をお招きました。

 終了後は、会場を移して自由参加の懇親会も行われました。

第99周年3・1節決議文

 本日、第99周年3・1節記念式に参集した我々は、日帝の植民地統治に抗し、民族の自主独立と自尊のために犠牲を恐れずに立ち上がった先烈の崇高な愛国精神に思いを馳せると同時にその強い意志を確認した。
 我々は、昨年創団70周年の節目を迎えたのを期して、祖国の繁栄と韓半島の平和統一に積極的に参与し、次世代育成と同胞社会の大統合にさらに前進させ、韓日友好増進の架橋的役割を果たすことを約束する。また在日同胞の生存権を侵害し、威脅するヘイトスピーチの根絶を誓い、次の通り決議する。


一.我々は、3・1精神を継承し、祖国の繁栄と韓半島の平和統一に
積極的に参与する。

一.我々は、在日同胞社会の信頼関係を増進し、和合と大統合を
積極的に推進する。

一.我々は、共生社会の実現のため、地方参政権の獲得まで継続して
運動を推進する。

一.我々は、時代に応じた組織基盤強化を通じて、次世代が安心して
活躍できる環境を構築する。

一.我々は、在日同胞の生存権を侵害するヘイトスピーチを
根絶させるため総力を尽くす。

2018年3月1日
第99周年 3.1節 記念式
韓国民団愛知県地方本部 参加者一同


三.一独立運動とは?

 1919年3月1日から約1年間にわたって続けられた、日本帝国主義の植民地支配に反対した韓国(当時は朝鮮)「民族」の独立闘争。
 1910年の「併合」後、韓国人民は日本国帝国主義の苛酷な弾圧と搾取によって、悲惨な運命にさらされました。
 そして、韓国人民の抵抗はしだいに活発化しはじめました。面事務所(役所)や憲兵分遣所を襲撃する農民暴動がおこり、1917年以降労働組合の結成がすすみ、1918年からは労働者のストライキも急増しました。
 それにロシアにおける社会主義革命の影響が加わり、第一次世界大戦後の世界的な革命的雰囲気のなかで、韓国民衆の独立運動にあらたな高揚をもたらす契機となりました。

二・八が三・一の導火線に

 1919年2月8日東京留学生による独立宣言発表(二・八独立宣言)を受け、3月1日、韓国国内における「民族代表」33人により、京城(現在のソウル)・パゴダ公園で独立宣言書が朗読されました。
 すると韓国民衆の憤怒は、日本の「帝国主義侵略者」に対する全民族的な反日蜂起となって爆発しました。ソウルでは数十万の群衆が大規模な反日示威を決行し、「独立万歳」を絶叫しながら街頭に繰り出しました。
 三・一独立運動の烽火はまたたく間に全国津々浦々に燃ひろがり、満州と沿海州・日本・ハワイなど韓国人の居住する海外各地にも波及していきました。民衆の激烈な示威闘争におそれをなした日本の「侵略者」は、警察・憲兵・軍隊を総動員して示威群衆にたいして銃弾をあびせ、多くの愛国者を虐殺しました。
 しかし、民衆による大衆的な示威運動は、血の弾圧にも屈せず、怒涛のように前進しながらその闘争を高めて行きました。民衆は斧や棍棒で「日帝」の憲兵分遣所・警察機関・地方行政機関などを襲撃破壊し、一部の地方では武装闘争も展開しました。
 この闘争は1年間もつづき、200万人以上の民衆が参加しました。そのため「日帝」の統治機関からは一時完全に麻痺状態に陥いりました。
 韓国民衆の挙族的な闘争に直面してあわてふためいた日本の帝国主義者らは、韓国駐屯の日本軍に加えて、4月中旬からは日本からも軍隊を増派して、非武装の民衆に「暴圧」を加えました。

水原・提岩里教会における虐殺

 1919年4月におこった水原虐殺事件はこの一典型です。
 これは日本人の官憲がソウル近郊の水原付近にある提岩里教会に村民を監禁して放火し、必死に逃げ出す村民を無残にも射殺した事件です。
 日本人の官憲はその後も3日間にわたって放火と虐殺をつづけ、数千名を殺りくし数百の民家を焼き払いました。ソウルにおいては蜂起参加者を十字架台にはりつけ虐殺しました。
 こうした事件は全国各地で繰り返されました。

おびただしい数の犠牲者が…

 3・1独立運動で犠牲になった民衆は1919年3月から5月までの3カ月間だけでも死者7,509名、負傷者1万5,961名、被検挙者4万6,948名に達しました(総督府発表)。負傷者や被検挙者のなかから、その後拷問などで多数の死者が出たことを計算に入れると虐殺された人の数はずっと多くなります。
 結局、三・一独立運動は韓国民衆の頑強な闘争にも関わらず、成功するには至りませんでした。しかし、この闘争は韓国民衆の反日民族「解放」闘争史上、輝かしい地位を占めるもので、多くの教訓を残しました。
 この騒動を通じて韓国民衆は「植民地」民族の解放闘争は、必ず民族の主体的力量と組織に依拠してのみ、成功するという教訓を体得しました。
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