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サラム賛歌<21>中華民族の誇りを胸に
伝統武術を守る
畢庶信さん


 今年10月、仁川チャイナタウンに「中国武術博物館」がオープンした。館長は仁川生まれの華僑の武術家、畢庶信さん(58)だ。

 韓国全土には現在、2万5千人ほどの華僑がいるという。仁川には、約3千人が住むと聞いた。在韓華僑の歴史を語るとき、武術の歴史は欠かせないというのが、畢さんの主張だ。

 清国から朝鮮にやって来た袁世凱は、華僑商人のもとで働く労働者たちの多くが、アヘンに犯されていることを知り、アヘンの毒を抜くために、体を動かす武術を奨励した。その修練場となったのが、チャイナタウンに今も残る「義善堂」という祠だ。ここは観音菩薩や関帝、媽祖など、民間信仰の神々を祀っており、異国で暮らす華僑の心のよりどころともなっていた。

 財を成した華商たちが、店や主人を守るため、武術に秀でたボディーガードを競って雇ったことも、武術の普及に影響を及ぼした。仁川で武術を学んだ人々が全国に散り、また中国から武術の達人が仁川に渡って、後進の指導にも励んだ。

 朝鮮全土で「排華事件」が起こったのは、1927年と1931年。各地で華僑の虐殺事件が起こったが、武術の達人が多かった仁川では、恐れをなした朝鮮人がチャイナタウンに足を踏み入れることができず、被害は軽微だったと、畢館長は語る。

 戦後も続いた中国の「国共内戦」では、共産主義を嫌って国民党を支持し、韓国に渡って、華僑として定着した人もいた。

 韓国の華僑は、地理的に近い山東省出身者が9割を占める。しかしイデオロギーの問題で、出身地ではない台湾を「祖国」とする人が大部分だ。故郷の山東省に戻れずに亡くなった人も多かった。

 山東省出身の畢さんの父が、初めて韓国に渡ったのは1924年。父は中国と朝鮮を行き来した。畢さんの兄は中国で生まれ、畢さんは仁川で生まれた。

 仁川の華僑中学に通っていた1970年代、畢さんは家族の勧めで武術を始めた。「義善堂」でも稽古をした。その後、台湾で修行を積み、仁川に戻って道場を開いた。

 ある日畢さんは、仁川の華僑学校の職員が、古い写真やアルバムなどを捨てるのを目撃した。「自分が保管しなければ、なくなってしまう」という危機感から、古い資料などを集め始めた。

 中国では文化大革命の時代、伝統武術を排斥し、教本などもすべて焼き捨ててしまった。その後、大陸の武術はスポーツや見世物としての要素が強くなり、「本当の中国武術は今の中国にはない」とも評されている。

 今の中国の新武術ではなく、かつて仁川で行われていた伝統武術を守らなければいけない。自分がやらなければ、誰がやる。そんな義侠心で開いたのが、この小さな博物館だ。

 「私の故郷は仁川。私はここで、中国の伝統武術を次の世代につないでゆきたい」

 畢さんは仁川チャイナタウンの復興にも大きく貢献している。観光客誘致のために、獅子舞や楽隊のパレードなども指導した。しかし一過性のイベントや見世物に、興味はない。畢さんの目的は、中華民族の誇りを守って、生きてゆくことにある。

戸田郁子(作家)

(2016.12.21 民団新聞)
 
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