お近づきの印に山本英義さんから、初めて頂いたのが十二支を彫った文鎮です。天草商事と記されています。地元と無縁の社名なので記憶に残りました。 大勢で食事に行くと、必ず一人で会計を引き受けて下さるのが彼と決まっています。お金持ちなんやねえ。ベンツ2台に、光って何だか高そうな指輪や時計。でっぷりした体格。 お金持ちはそもそも体に現れるんやね。石屋さんなんやて。よう儲かんねんなあ、石屋さんは。私が痩せてるんはお金がないからやわ。 友人から紹介されておよそ20年です。以来、細くて長ーいお付き合いです。韓国で商売を始めた話が聞きたーい。面白そうやん。気になってある日質問してみました。 元々、旅好きらしく、ふらり遊びで出かけたソウルで、掘り出したものが石なんですって。韓国語なんて全く知らないし、知人もない土地で商売を始めたのは、商人の勘が働いたのかもネ。 80年代の韓国では、日本人はまだ少なかったのではないかしら。確かバブルを迎えようとしていた頃ね。四十代後半で初めての韓国。三年を費やして、親方や会社を探したんです。 石は手作りなので大量生産が出来ず、質と技術を要します。そのための職人確保に大田、大邱、天安を歩きまわります。苦労したんやね。やがてソウル郊外の作業場で石を定め、加工に漕ぎ着けました。 庭園材料や墓石、お地蔵さんなどが主で、次々に姿が変わってゆきました。お地蔵さんは当初500体作り、北海道から九州まで出かけて売り込んだんですよ。年商3億円稼いだんですって。億なんて聞いても見当がつかず、フームフムとしか言えませんよネ。 すごーい! そりゃベンツだってナンだって買えるわ。それから灯籠や手洗い石など見かけると、妙に気になって。お墓だってつくづく眺めてしまいます。 天理大学にも対人の両班像や、狛犬の石像が今も佇んでいます。どこから来たん? あなたは。見る度に訊いたものよ。投げキスをしながら。 そうそう京都には、韓国古美術店を営む日本人の主がいます。書棚に韓国語の専門書が何冊も揃えてあって、お邪魔した時は愛知県からの中年女性が熱心に見ていました。韓国古美術は大らかで、ユーモアに富むと主が話していました。 窓辺に目をやれば、庭の木陰に一対の石人像が佇んでいます。二つ国のコラボを、石像もお地蔵さんも冥想するかのようで、遙々とした表情を見せます。 山本さんの商売始めの思案顔とちょっと似ているような? いないような。 李正子(歌人) (2011.11.2 民団新聞) |