Aツアー社の旅程表が今も手元にあります。1998年4月17日〜22日の旅です。「近藤芳美先生と歩く韓国」と題しています。結社仲間で先生の積年の思いを叶える為に計画したのでした。 成田から名古屋から、私は関空から飛び立ちます。午後はソウル市内を観光し、夕刻からは韓国詩人達との交流が開かれます。ロッテホテルでした。翌日からは、観光バスや電車で公州・扶余に大田へ。晋州城趾や馬山咸安、そして慶州・月城郡へと風景が変わります。武寧王陵は百済時代の摶で、とても精巧に築かれたものです。王の棺は何故か、日本の高野槇で作られていて、理由は今も謎の儘です。 博物館では先生の解説で、鳥居の原型を観ました。「ご覧」先生が指を指します。日本独特のものと思っていた鳥居の原型が、古代韓国の村落入り口にあるなんて、もうビックリよ! 大木の門に架けられた横板には、木彫りの鳥が左右に留まっています。旅人はここに村落の在処を知り、漸く旅装を解いたのですね。そして神様にこれ迄の無事を感謝し、この先の安全を祈願します。 さらに道項里古墳、末伊山古墳、金銅弥勒菩薩半跏思惟像、金叟信将軍陵の十二支神将、定林寺趾の五重塔へと進みます。ここでの優れた技術は、日本に伝授され数多の寺院仏像や天皇陵が作られました。半跏思惟像は韓国と日本にのみ存在します。 1909年に郵便配達夫が偶然、発見した石窟庵如来座像の螺髪の光りや、落花岩を臨み乍らの白馬江の船下りには杳い日の幻を視るのです。 多彩な古代文化史に韓日間の交流史にロマンは密度をもって香り立ちます。旅は先生が希むコースなのに実は私が求めていたのかも知れないわ。春真っ盛り、梅八重桜牡丹連翹梨の花、韓国って一度に花が咲くのね。遺跡や城趾に栗鼠が走り、梢には鵲の巣が音符のように影絵を作って日本では見られない風景よ。 園児達がお散歩です。見知らぬ私達に腰を折って丁寧にお辞儀するんですよ。余りの可愛さに誰かが言います。ネエ連れて帰らない? 付き添いの先生方が手を振ります。 行く先々で先生はお買い物。本が多かったですね。重そう、大丈夫かしら? 少年期から歳月をかけて、85歳でのお買い物に挨拶は韓国語でしたよ。覚えて下さったのね。旅の栞には初めて聞いた우리말を記しましょう。先生には多くの肩書きがあります。戦後短歌の旗手、短歌に新仮名を導入した改革者文化功労者等々。既に故人ですが唯一無二の歌の師です。それは栞の고맙습니다。반갑습니다と共に永遠なんで。 李正子(歌人) (2011.10.5 民団新聞) |