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サラムサラン<33> 密航の大歌手・李仁榮
 海原を前に、青年は悩み続けた。誰もが認める美声である。日本に留学し、本格的な声楽の勉強がしたいが、まだ国交がない。無理をして玄界灘を渡れば、いつ故国に戻れるかもわからない。

 が、音楽への情熱がすべてを超えた。1950年、密航という非常手段で、青年は日本に渡り、東京芸術大学の声楽科に入学した。卒業に前後して藤原歌劇団に入団、密航の際に使った金慶植の名で、バス歌手として大活躍をする。

 その人の本名は、李仁榮(イ・イニョン)。1929年、釜山の生まれ。東洋一の美声と言われ、韓国では知らぬ人とてない往年の大歌手である。

 李氏とは、柳宗悦の妻でアルト歌手だった柳兼子の取材を通して出会った。1968年、34年ぶりに韓国を訪れた兼子の歌を聴いた聴衆のひとりとして、話をうかがったのだった。話はやがて先輩歌手の思い出から自身の半生に向かい、その激動の歩みに私は惹き込まれ、圧倒された。

 終戦から5年、日本はまだ貧しく、朝鮮人差別が色濃く残っていた。だが、そんな中にも、忘れがたき恩師との出会いがあった。芸大で教鞭をとっていた矢田部勁吉氏。外国人への差別などいっさい無縁で、李氏が授業料が払えなければ肩代わりした。学校が休みに入ると、金は要らないからレッスンを受けに来いと誘った。そこで磨かれたのは、単に歌唱力だけではなかった筈である。

 1959年、李氏は久しぶりに韓国の土を踏み、帰国独唱会を開く。65年の国交回復後は、日韓両国のステージに立つ。韓国では李仁榮の本名で、日本では金慶植の名で。日本での活躍は、藤原歌劇団を退団した1971年まで続いた。

 60年以降はソウル大学でも教え、後進の指導に尽力した。歴史の浅い韓国洋楽界にあって、短期間のうちに世界的歌手を輩出する発展を見たのは、この人の努力に負うところが大きい。若い学生に熱心に音楽を教え、支援した背景には、矢田部氏から受けたものがこだましている気がする。

 私が会った2007年、氏は足が不自由で、車椅子を使っていたが、それでもたびたび日本を訪問しているとのことだった。昔の歌仲間に会うのも嬉しいが、田舎を周り素朴な日本に触れるのが楽しみだという。一方では、歯に衣着せぬ日本への発言も続けている。老いてなお、エネルギッシュで若々しかった。

 日韓両国の間が閉ざされていた時、密航という形で氏は壁を貫いた。今、二つの国を熟知する人間として、海峡を越え、国を跨いで大きな心の歌を響かせている。

多胡 吉郎

(2010.10.6 民団新聞)
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