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サラムサラン 「人は愛」連載を終えて

それは「祈りの言葉」 人間だから「壁」を越える

 韓国には一種独特の人間主義がある。人々が闊達としていて、人間が濃い。人の集まるところ、あたかも劇場のような熱気をはらんで、ひどく人間臭い社会が展開する。

人間主義を韓国で洗礼

 若き日に、私は韓国から「人(サラム)は愛(サラン)」ということを教わった。バブル日本に空虚を感じた当時の私は、砂漠でオアシスに出会うように、隣国の人間主義の洗礼を受けたのだった。

 そうはいっても、日本から玄界灘を越えて韓国に渡れば、様々な「壁」にぶち当たる。1979年、初めて韓国を旅行したが、ソウル駅で釜山行きの列車の切符を予約する列に並んでいると、日本語を話す老人が現れ、手伝ってやるから金をくれとせがんできた。自分ですると固辞した途端、老人は怒り始め、韓国に悪いことをした日本人なら金をよこして当然だと怒声を張りあげた。後味の悪さが尾を引き、日韓の間に横たわる「壁」の高さを痛感させられた。 しかし80年代、訪問を重ねる中で、胸襟を開き、心を通わせてくれる何人もの韓国人と知り合うことができた。日本への反感や憎悪が残る国の人々から、人間としての愛をもらったのである。

 私は感動した。「壁」の高さも厚さも知ればこそ、「壁」を越えて現れる人間らしさ、人としての好もしさは、ことさら美しく輝いて見えたのだろう。個々の構えはささやかでも、「人の愛」が「壁」を越え、「壁」を穿つ力を持ち得ることを、以来、私は信じるようになった。

 1999年から10年、私は縁あって英国に暮らした。多人種が暮らす国際都市のロンドンで、「人は愛」を磨こうと努力した。女王のクリスマスの挨拶で、多人種多文化の共生が説かれるお国柄である。寛容を大切にする英国の文化土壌は、間違いなく私の「人は愛」に、滋養を与えてくれた。

 「チップス先生さようなら」という小説がある。頑固一徹のラテン語教師チップスの半世紀を綴ったジェイムズ・ヒルトンの作品だが、そのクライマックスに、「人は愛」の真髄が描かれる。

 時は第1次世界大戦のさなか。チップスは講堂で、母校出身の戦没者の名前を読みあげていく。戦死した教え子たちの名とともに、チップスは、かつてドイツ語教師だったオーストリア人マックスの訃報を告げる。戦争の勃発によって帰国を余儀なくされ、敵方に徴兵されて戦場に斃れたその人は、もとは学びやの恩師であり、チップスの愛する同僚でもあったのだ。国と国は戦争という究極の対立のもとにあるが、チップスは人としての絆を退けなかった。

 私はこの小説を英国で久しぶりに読み返し、この場面になるや、涙が止まらなくなってしまった。極めて高次に結実したヒューマニズムが、静かに、しかし誇らしげに輝いていた。そして、私は遠く離れた日本と韓国を思った。両国の間の「壁」を、このような高次の「人は愛」が乗り越えてほしいと願わざるを得なかった。

 英国滞在中に見たテレビ番組にも、忘れられないシーンがある。アメリカのブッシュ大統領が「悪の枢軸」を言い出した頃で、BBC放送局は「悪の枢軸」と名指しされた国々を訪ねるドキュメンタリー・シリーズを制作した。無論、その中のひとつは北朝鮮を旅した番組であった。

 英国人リポーターにあてがわれたガイドとして、平壌の娘が登場した。大学で英語を学んだという若い女性だが、国の建前を奉じて、取りつく島もない。判で押したような空虚な言葉を繰り返すばかりだった。

ふと見せた北の娘の心

 だが、動かぬかに見えた鉄仮面が、ある時にふと外れた。それは、各国語に翻訳された金日成著作集が恭しく飾られた図書館で、リポーターが他に愛読書はないかと尋ねた時だった。娘は、シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」が好きだと答えた。予想外の質問だったのか、頬を染め、恥らうように、しかし生き生きとした表情で口にした。「感動して、何度も読みました…」

 「ジェイン・エア」はヒューマニズムを謳い、自己犠牲的な愛を謳った小説だ。「人は愛」の真実を描いたこの物語に、平壌の娘が感動したというのである。私は心を動かされた。まぎれもない人間の顔が、そこに輝いていたからだ。すべてにイデオロギーが優先し、人間らしさが封殺された社会にあって、なおもかすかに生きている人間性が発露した瞬間だった。

 近代史を俯瞰した時、日本が隣国に加えた暴虐に、目を覆うわけにはいかない。同時に、現在進行形で行われている暴虐に、無自覚でなどいられない。人間の尊厳を踏み躙る数々の蛮行を、容認することなど不可能だ。しかしなお、そこに「ジェイン」がいることを、忘れるわけにはいかない。ここで言う「ジェイン」とは、一ガイドを指すのではない。権力の横暴のもと、抑圧と貧困に耐え、かろうじて息をつないでいる人間性そのものに冠した称号である。

 無論、私には祈りを凝らすことしかできない。「ジェイン」が少しでも幸福になるように…。「ジェイン」の心が広がり、やがてかの地に満ちて、人間の大地が回復されるように…。希望の道が見えず、絶望の淵に沈みそうになる時、「ジェイン・エア」を口にした平壌の娘の顔が蘇る。

絶望の淵を愛に救われ

 1年半、「サラム・サラン」のタイトルで、本紙に連載を続けた。この期間だけを見ても、時代は坂道を転げ落ちているように感じてならない。政治や経済、文明、人心…。年を重ねれば、それだけ絶望が積もると、そう思うことが多い昨今だ。

 だが若き日より、「人は愛」ということを教わってきた私である。絶望に沈みそうになる時、弱った心を間違いなく愛が支えてくれる。「サラム・サラン」の記憶をたどりながら、私は世の中に、人間に、人生に、信頼と希望の光を取り戻す試みを続けてきたようにも思う。

 今なお交際の続く人、いつしか疎遠になってしまった人、もはや消息すら不明になってしまった人と、登場した人々は様々だが、目を閉じれば、今もその人たち、ひとりひとりの笑顔が浮かんでくる。

 「サラム・サラン」‐。私は、今一度、その美しい韓国語を口ずさむ。そして、気がついた。これは、祈りの言葉なのだ。絶望してはなるまい。愛を与えてくれた人々の笑顔が、無垢なまばゆさの中に、そのことを教えてくれている。

(2011.1.12 民団新聞)
 

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