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<国交正常化50年>踏み固めたい友好の道…21世紀の朝鮮通信使<5>
「国書」を田辺・静岡市長(右)に渡して握手する「正使」の宣相圭さん
苦難の箱根越え。雨の中、旧東海道の石畳を注意して歩く

縁地を結ぶ健脚 最後まで

民団の歓迎受け

 6日は美濃路に入り木曽川を渡り愛知県へ。昔は橋がなかったため、川舟をつないで板を張って作った「船橋」を朝鮮通信使は渡った。この「船橋」は将軍と通信使だけに作られた特別の「橋」だった。

 7日は美濃路を名古屋へ。8日はゆっくりと休養し、9日は名古屋市鳴海から岡崎へ。

 絞り染めで有名な有松では「朝鮮通信使を世界記憶遺産へ」のノボリ旗を贈呈。ゴールした岡崎市役所では内田康宏市長と、民団愛知県本部岡崎支部の林昌元支団長に「記憶遺産に」のノボリ旗が手渡された

 10日は昔の街道や宿場の面影が随所に残る旧東海道を豊橋へ。「誠信」の文字が染め抜かれたTシャツを着て、ノボリ旗を掲げた「現代の朝鮮通信使あいち」の韓基徳さんも1日参加して歩いた。11日は豊橋から弁天島、12日は天竜川へ進んだ。静岡県に入ると各地で民団の歓迎を受けた。弁天島の宿ではソウルで1日ともに歩いた姜再慶・民団静岡県本部団長らが家康が好み通信使も飲んだ「忍冬酒」などを差し入れて歓迎してくれた。 14日の掛川出発式では、松井三郎市長が「縁地連絡協議会」への参加を確約してくれた。到着した藤枝宿では、慶州博物館所蔵の馬の鞍などの装飾修復に使う玉虫の羽根を提供した「玉虫愛好会」の歓迎を受けた。15日に静岡市に入るとにぎやかなチャンゴ隊に先導され、冷たいスイカなどでもてなしてくれた。

祖先の偉業眼に

 16日は通信使ゆかりの「清見寺(静岡市清水区)」を訪れた。本堂や山門には通信使が書き残した詩文などが扁額として数多く残っている。第1回の正使・呂裕吉の子孫、呂運俊さんは、先祖の書き残した扁額を見上げた。

 「体が震えています。400年前のハラボジの肉体はありませんが、その心はここにあります。このウオークを知り、いつかこの瞬間に会えると期待していました。今まで正直言って反日感情が少しはありましたが、このウオークを通じて完全に無くなりました。帰ったらハラボジのお墓に報告に行きます」と語り、「扁額を守ってくれて感謝します」と和尚にお礼を述べた。

 午後からは静岡市役所で歓迎式が行われた。韓国ウオーカー全員が韓服姿で行進。正使役の宣相圭・韓国隊長が国書に見立てた文を読み上げ、徳川家康に扮した田辺信宏市長に手渡し固い握手を交わした。歓迎イベントではこの日のために来日した韓国・永川市の圃隠舞踊団が舞踊やアリランの歌、そしてテコンドなどを披露した。民団や地元交流会などが主催した歓迎夕食会では和やかに歓談し、最後に全員で手をつなぎ「アリラン」と「故郷」を合唱。

 17日は前日舞踊などを披露した永川市舞踊団員もウオークに参加。海沿いの坂道を登り薩 峠に立ったが、残念ながら富士山の姿は見えなかった。しかし翌朝は吉原の宿の前から朝焼けの富士山が見えた。18日は苦難の箱根越えになった。雨の中を旧東海道を上り始めると雨と風が強くなり、石畳の道では雨の水が流れ落ちて滑りやすく、おまけに濃い霧で前は見えず、ひたすら我慢の歩行になった。石畳の道が工事中の場所は国道1号線を一列で進むが、下ってくるトラックの轟音と水しぶきに注意の連続だった。

 ようやく峠にたどり着くと気温は10℃と低く、寒い。下りの旧道は滑りやすく危険なため、国道を1列で歩いて芦ノ湖畔に。午後からは雨があがり、滑りやすい石畳の道をさけて、小田原まで国道を歩いた。

 18日は国道や旧東海道を交互に歩いて藤沢へ。午後からは湘南の海岸沿いの砂浜を進む。台風の影響で高い波が押し寄せサーファーの姿も見えない。風が強く波の音も高いが、車の騒音に比べれば自然の音は心地よい。午後6時過ぎに藤沢市役所に着くと日韓親善協会湘南支部や民団湘中支部が迎えてくれ、宿には冷たいビールなどが差し入れられた。

夫婦仲も睦じく

 夫婦で釜山から参加した夫の孫 権(59)さんは「田舎の道や今日のような浜辺の道がとてもよかった。日本人ウオーカーが神経を使って親切に対応してくれてうれしい」と話し、奥さんの張禎充さん(53)は「少し足が痛くなって大変だったが、昔の様子が保存されていてとてもよかった」と感想を話した。

 21日は気温21℃、さわやかな風が吹く中でスタートして川崎へ。毎回この時期には気温上昇で「暑さ」に閉口する日が多いのだが、今回は毎日風が吹くので歩きやすい。東京に近づいても松並木が所々に残る風景には韓国人ウオーカーならずとも感心する。

 日本との合弁会社の社長を勤め長い日本勤務経験があり、日本語の堪能な崔英禹さん(77)は「自転車で韓国を一周しましたが、立ち止まって風景を見たり、話しながら歩けるこのウオークは楽しい。東京まで歩けるか心配だったが何とか歩けて参加して良かった。自分が知らなかった通信使が昔行った韓日友好へ強い思いも感じることができました」と淡々と話した。

 崔さんは今回、通訳の役目を自ら果たしてくれた。川崎での夕食会はウオーカーの到着前夜祭になった。=終わり=

(文と写真、金井三喜雄 友情ウオークの会記録報道担当)

(2015.5.27 民団新聞)
 

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