初めてのチョゴリ姿にいまだ見ぬ祖国知りたき唄口ずさむ 正子 二十歳の頃の作品です。近づく3・1節と三月三日の誕生日をかね父母が贈ってくれたのでした。緋色のチマに白い花模様のチョゴリ。こんなに綺麗やったん? 私って! 思ず通りに飛び出します。唯見せびらかせたくて。 この解放感を誰かに伝える為に「朝日歌壇」に初めて投稿します。若書きの歌がトップで入選した掲載紙を見たとき本当に驚きました。選者は近藤芳美先生。評には祖国への明るく素朴な詩情があると記されています。 未知の私の気持ちが何故分かるの? それに励まされて投稿を続けました。先生の門を叩いた時は既に三十代でした。地方でひっそり歌っている私が名高い中央短歌結社の門下に入るにはとても勇気を要します。元々この世界は少ないのですが、結社で在日は今なお私一人です。 入会の翌年、東京大会で初めて先生にお会いしました。大柄長身、目鼻が大きくカールの髪が肩に届いて。私の名を呼んで下さってホント感激! でした。 次第に先生の来し方や輪郭を知り始めます。父君は統治下の大邱の銀行で勤務し先生は馬山の生まれです。広島の中学に入学する日迄暮らしたようです。韓国人の家政婦さんをオモニと呼んでいたんですね。オモニが日曜毎にこっそり、何処かへ出かけるのを訝り跡を付けます。すると教会で礼拝する敬虔な姿に出会い、心を打たれるのです。 東京工大在学中は休暇毎に父母の住む韓国を訪れました。やがて社会人となり清水建設に就職します。建築技師として最初の赴任地が麻浦の現場だったんですね。そうした仕事の合間には日本の歌人達の集う歌会に出向いていたようです。其処に長い黒髪の少女がチマチョゴリ姿で現れます。後の奥様です。 ある日、ふと先生に尋ねたの。韓国語出来ますか? いや全く出来ないよ。日本人の奥様のチョゴリ姿を想像し乍ら尋ねたけれど。先生を通じて多分私は当時の韓国と日本を垣間見ていたんです。思いに耽る日々だったわ。 青写真の裏打ちをして居し少年はいつか小声で聖書を読めり 新しく国興る声今聞かむ春の解氷を遠く聞くごと よろこびに充ちて一国の興るさま再び訪い得ぬ国と吾が恋えど 近藤芳美 建築現場では、少年工が篤いクリスチャンであると関心を寄せています。 韓国の独立の報には、其処を生まれ故郷だと慕うことを、自らに禁じる繊細で複雑な心象を覗かせています。それは馬山の町の十字路や郡庁や、草原での四季の散策を楽しむ夢から覚める毎だったのでした。 李正子(歌人) (2011.9.28 民団新聞) |