冷気を含む繊い光りが、セーターの編み目を潜り抜けるのが視えます。風はどこから吹いてくるの? 金木犀の香りを届けに来ます。ああ秋ですね。私だけの、大切な誰かさんとの秋を訪ねてみたくなる今日この頃です。 コスモス 尹東柱 清らかなコスモスの花は/ただひとりの私の姫さまです/月あかりが冷たくて寒い秋の夜であれば/かの日の姫さま恋しさに耐えられなく/コスモス咲く花園へ尋ねてゆきます/コスモスの花は蟋蟀の鳴き声にさえ恥じらうのです/コスモスの花の前に佇む私は/少年の頃のように羞恥心が充ちてきて/私の想いはコスモスの想い/コスモスの想いは私の想いなのです 花野から漏れる吐息で充たされた尹東柱の詩の園です。恋い慕う姫さまって誰でしょう。杳かな日に視た、夢の場面のように浮かぶ姫さま。それはコスモスの花の精ではないかしら。 どこか恥ずかしげで風に吹かれています。少年の日からガーゼのような手触りの花の精に希みを託していたのでは。 秋桜とも記しとても嫋やかに見えますが、メキシコ原産の花。厳しい気候に荒れた土壌にも我慢強く根付く、雑草のような性質をもちます。整列に並ぶ八枚の花弁は、秩序と調和を表現しているのね。 かつてスペインは、滅ぼしたインカ帝国から無心に咲いていた花を持ち帰ります。それをコスモスと名付けたのは、スペイン王室植物園園長の神父でした。 散り際にコスモスは視ていたはずよ。花の根元には、埋められた無数のインディオ達の血潮に染まった骸があったことを。 果敢に闘った証には、平和へのメッセージが込められていたでしょう。その想いを花弁に秘めて、コスモスは咲き続けているのね。宇宙に向かう花として閑かな。 そう、コスモスの精はお母様ですね。寒くて辛い夜に無性に会いたくなって想いを一つに合わせられる人、それはお母様。 詩は1939年に作られています。ソウルの延禧専門学校生だった彼は22歳。ものを思えば、それは遠く離れた故郷の山河やお母様への追慕に繋がったでしょう。 センシティヴな青春の魂は時代の冬にも疼きながら、卒業の翌年に日本へ留学しています。当時日本への留学生は日本名でなければなりませんでした。坡平尹から平沼東柱へ。 運命は強慾に確と、日本で彼を待ち受けていたのですね。愁雲を湛えた笑みが手折られます。お母様は慈愛と無常の眼差しで見届けるしかなかったのでした。ただ宇宙の花影で。 李正子(歌人) (2011.10.19 民団新聞) |