韓医学発祥の地、慶尚南道山清郡東医宝鑑村で9月6日から開かれていた「2013山清世界伝統医薬EXPO」が10月20日、45日間の会期を終えた。EXPO組織委員会の一員として昨年から同エキスポの広報委員を務めてきた中澤俊子さんが観覧記を寄せた。 新たによみがえる「医聖」許浚の精神 今回のエキスポは朝鮮医学の大著「東医宝鑑」(許浚著、25巻)の発刊400周年と、2009年のユネスコ世界記録遺産登録を記念して開かれた。 会期前半には「未来の大きな価値」と世界が注目している韓医薬と、世界各国の伝統医薬をテーマとする国際・国内学術大会が続き、世界30カ国の医学専門家が集まった。私はその期間中は遠慮し、秋夕も避けて9月27〜10月7日まで山清に滞在した。 会場は子どもから大人まで大変なにぎわいだった。韓方体験館には朝鮮王朝時代に設置された官庁の医療施設、恵民署が再現され、山清の農民や一般参加者が自由に診療を受けていた。私は庶民を大事にした「医聖」許浚先生の心医としての心を思い出した。 韓方気体験場では亀のような形をしている亀鑑石のパワーストーンから、大きな気が伝わってくるのを味わった。現場では「気」の体操を担当している李枝映氏から指導を受けて体をほぐし、指圧も30分ほどしていただいた。すると、ひざ関節の痛みが失せ、足取り軽く会場を歩けて、充実感でいっぱいになった。 私は亡夫、豊島哲の遺志を継ぎ、03年、結書房から『許浚』(小説・東医宝鑑、李恩成著)を出版したことで、ソウル東医宝鑑事業団(団長、安相佑博士)との交流が始まった。国家プロジェクトである「東医宝鑑の世界化」へ向けてEXPOも設定され、日本でなにかできることがないか模索してきた。 エキスポ組織委員会から招かれて山清を視察に訪れたのは、開催地に決まった直後の2011年11月のことだった。山清は許浚が師と仰いだ柳義泰の故郷とされる。三大霊山の一つ、智異山のふもとで村人が一丸となり、1千種にのぼる自生薬草の育成に専念していた。組織委員として活躍している洪チャンス氏が「日常生活や都会での暮らしで疲れた人たちを伝統と現代医薬の両方を兼ね備えて迎えたい」と語っていたのはいまも忘れられない。 山清郡の李在根郡守は、自身の死後の献体を陳永保健福祉部長官に誓約したという。これを聞いて、柳義泰が自らの遺体を弟子の許浚に託し、医学に役立てて人びとの命を救うようにという遺言を残したというエピソードを思い出した。私も滞在中の10月1日、小説『許浚』出版以来の売上金と、読者からこれまでいただいた応援資金を、亡夫との共同名義で山清EXPOを構成する3つの組織に献金した。 山清エキスポ期間中の来場者は、組織委員会の予想170万人を大きく上回る240万人だった。閉会式後もソウル、釜山方面から文化人、歌手など有名人の来場が続き、「熱気冷めやらず」という電話を受けて胸に熱い思いが込み上げた。 この山清エキスポ会場は来年以降、人と自然が調和する韓国初の「山清ヒーリング村」として生まれ変わり、伝統医薬をめざして訪れる人びとの健康を見守っていく。母なる山智異山に抱かれて、山清はこれからも前進するとの思いを強くした。 (2013.11.6 民団新聞) |