高校時代は教会の英語塾に通っていました。それが宣教師さんに手招きされて、いつの間にか聖書を学ぶことに。それも両親の強い反対で、いつの間にか遠ざかってしまいました。 でも一度だけ、降誕祭のミサに出ました。アメリカ人の神父さんと修道女さんが二人、辿々しい日本語で導いてくれます。 ミサは真夜中から始まり賛美歌を歌います。終わると神父さんが、信者一人ずつの口に麺麭と葡萄酒を入れてくれます。信者ではない私には祝福の言葉でした。 当時、チャールトン・ヘストン主演米国映画「十戒」を三度ほど観ていて、紅海の海割れや未知なるアメリカに惹かれていました。教会の雰囲気に多分重ねていたのね。 3年後にクリスチャンGさんとの出会いがあって、外人墓地へ誘われたんです。教会に通ってたけれど全く知らなくて。一面に芝が植えられています。キリスト様の像、マリア様の像が佇み、周りに幾つかの十字架が夕日を浴びていました。 彼には韓国人だと話していたのですが、特に気にする様子がありません。二十歳だったかしら。チマ・チョゴリの儘で会います。父母の眼に怯えながら。 見るや否や彼が一言。「何や嫌やなあ」。チョゴリのことなん? それはつまり、私を指しているのね。想いが一度に頽れます。 やがて、彼が婚約したことを知るのです。臍を噛む想いに苛まれ、季節が無為に通り過ぎてゆきます。30年ぶり、いえもっと? 突然彼が訪ねて来ました。 「李さんと呼ばなあかんな」ポツリ言いました。教会は、今は日本人の牧師さん一人だとか。 牧師さんから度々、韓国教会の社会活動の盛んな様を聞いていて、その話に感化されます。それで男の子を養子縁組みしたんですって。 三人の娘さん共々、一家が揃って洗礼を受けたこと。息子さんが高校を卒て家を離れること。そして韓国の話の度に私を思い出し、詫びたいと願い続け今日来たことなども話すのです。そんな旧い話とっくに時効やわ。 四人のお父さん! 街はイルミネーションの綾目が舞います。花屋さんを覗くと、ポインセチアが囁きました。買ってくれる? 分かったわ。一緒に帰ろうね。 歳晩を吹雪く街角ポインセチアはわたしに買われたくて真っ赤ね 羅のうすむらさきのチマチョゴリChristmasの星を纏わせて逢う 正子 人は努力して忘れられるものでしょうか。いえ、歳月の襞が追憶を包んでは果てしなく流すのです。今を生かす為に閑かにゆっくり。 李正子(歌人) (2011.12.21 民団新聞) |