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サラムサラン<23> 悲劇の皇女・徳恵翁主
 この春、韓国では無名作家の書いた歴史小説がベストセラーに登場した。「徳恵翁主(トッケオンジュ)」‐。「翁主」とは側室から生まれた皇女をいうが、徳恵翁主は朝鮮王朝最後の皇女であり、「日韓併合」が強いた政略結婚によって日本人に嫁ぎ、精神を病むことになった悲劇のプリンセスである。

 私が徳恵翁主に関心を持ったきっかけは、今から20年ほど前、東京の文化服装学院で、少女時代の徳恵がソウルの王宮で着ていた衣装の展覧会を見たことだった。後半生、精神を病み、直接の発言が殆ど残されていないだけに、王朝絵巻を思わせる鮮やかな衣装が、着用した女性の思いを強く訴えかけている気がしてならなかった。

 「日韓併合」後の時局が強いた日本への留学、宗武志伯爵との結婚…。唯一の救いは、詩人でもあり、後に道徳科学教育を実践して麗澤大学教授にまでなる夫が、政略結婚とはいえ、徳恵に対し、愛情をもって接しようとしたことだった。

 だが、夫の愛では支えきれない重圧が彼女に押し寄せたのだろう、結婚前から兆候はあったという精神病が、娘を出産した頃から重さを増していく。やがて精神病院への長期入院、離婚、ひとり娘の自殺と、国家の悲劇に自身の悲劇を重ねて、皇女は坂を転げ落ちるように悲劇の道をたどる。

 祖国が解放された後も、旧王族の帰国は拒否されたため、日本滞留を余儀なくされた。朴正熙の英断により、久しぶりに祖国の土を踏んだのは、1962年。以後、病の身を昌徳宮内の楽善斎にひっそりと暮らした。

 実は最近になって、少女時代の彼女の資料を見つけた。京城の日の出小学校に通った頃に、彼女は童詩を詠んでいたのである。日本語ではあっても、後世に伝わった珍しい彼女の肉声である。「黄色い服きた 小さな蜂は おしりに剣 兵隊のまねして いばっている」‐「蜂」と題された詩だが、幼い彼女の周囲には威張りちらす日本軍人が多かったのだろう。

 当時の写真を見ると、利発そうな面立ちである。だが、外には出せぬ思いを心の内に溜め込み、貝のように口を閉ざして、やがて精神を病んでいく。

 やはり「日韓併合」による政略結婚として、日本から韓国の皇太子に嫁いだ李方子(イ・バンジャ=り・まさこ)がいる。このふたりが最晩年、肩を寄せ合うように楽善斎に暮らし、1989年、10日以内のうちに相前後して亡くなったというのは、流転のプリンセス同士、歴史を動かしたひとつの潮が引くままに逝(い)かれたような気がしてならない。

多胡 吉郎

(2010.5.19 民団新聞)
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