伊賀盆地と奈良盆地の狭間、大和高原北側に京都三重奈良を境にして、月ヶ瀬村があります。ここには、桃香野遅瀬などの綺麗な地名もあります。 3月になると梅林に、1万本が一斉に花開きます。京阪神から観光客が訪れ、1年の稼ぎをこの季節にすっぽり手中にします。 露店が出され蒟蒻芋、お茶や梅干しなどの加工品産物が売られます。月ヶ瀬湖は青々と湛えられ、峰のあちこちに咲く白梅、紅梅が映えて美しいですよ。この地に梅が植えられたのは鎌倉後期、足利尊氏の翻意により、後醍醐天皇が笠置山から吉野へ逃げ延びる道中だとか。 村人に助けられたお礼に、真福寺へ烏梅の木を植えます。烏梅は染色の媒染剤で、江戸時代には紅染に使うため、10万本植えられていました。 時代が変わり、合成染料の発達で衰退して現在は、観光資源として活用されているんです。万葉集には梅の歌が多く「むめ」と発音し、宇米、牟米、有米と万葉仮名で表記されています。 当時、梅は外来樹木で、ハイカラで社会的ステイタスがあり、憧憬をもって屋敷に植えました。菅原道真がそうですね。 仙台市には壬辰倭乱に伊達政宗が兜を鉢にし、持ち帰った朝鮮由来の臥竜梅があります。地に垂れる枝を匍って花開きます。大輪一重で、国の記念物に指定されている名木ですね。 政宗が再興し、菩提寺とした瑞巌寺にも植えられます。外来梅が武士階級にまで浸透、珍重されていた所以です。 丁酉再乱の中断後に完成をみた許浚著『東医宝鑑』(世界遺産)では、梅の薬効が記されています。暑を凌ぎ、咽喉の渇きを癒やし、鎭咳、胃の強化、肝機能調節などに効能があるとのことです。 以前、短期でソウルの新村に下宿していました。日本から梅干しを持ち込み、朝夕に食べていると下宿のオモニが、何を美味しそうに食べてるの? 一つ頂戴と言います。 でも、口に入れた途端に吐きだしてしまい、食べても大丈夫? と顔をしかめました。酸っぱさに驚いたんです。 日本では梅大福、梅素麺、アイス梅など加工品やメニューは多いんですが、韓国では余り見かけません。夏蒸し暑い日本では、梅の酸味が味覚に合い、江戸時代より庶民に普及したんですね。 ある日、偶然ドラマで韓菓を見つけました。梅雀菓です。梅の枝に止まっている雀をイメージした可憐な揚菓子です。 主に宮中などで嗜好されていたのでしょう。梅に鶯ではなく、実は目白との説もありますが、雀と人との関わりはいい塩梅ですね。 李正子(歌人) (2012.2.22 民団新聞) |