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サラム賛歌<5>長崎との縁を語る墓地
グラバーの娘 ハナ・グラバー

 私が利用する仁川中洞郵便局は、日帝時代の1923年に完工した石造りの建物で、その向かいの駐車場には、かつて広昌洋行という貿易会社があった。

 広昌洋行の社長はイギリス人のウォルター・ジョージ・ベネット。彼の妻はハナ・グラバー。二人は広昌洋行の建物で暮らしていたという。

 ハナは長崎の観光名所となったグラバー邸の主、トーマス・グラバーの娘だ。イギリスの商社に勤めていたスコットランド人のグラバーは、20歳で上海に駐在し、その翌年に長崎に渡った。武器商人として、幕末維新の日本に影響を及ぼした人物だ。

 グラバーの妻はツル。オペラ「蝶々夫人」はツルがモデルと言われているが、それは史実とは異なる。グラバーとツルは生涯、日本で共に暮らした。ツルは西洋の男に捨てられて自害する、悲劇の日本女性ではなかった。

 ツルの娘ハナは長崎でベネットと結婚し、仁川に渡った。当時の仁川は、開港から10年ほどが過ぎ、大いににぎわっていたはずだ。人や物が集まり、建設ラッシュの最中だった。日本と清国の租界は港の周辺に、西洋人の住む「各国租界」は山の手に置かれた。

 この地に住んだ西洋人の多くは、貿易商や宣教師だ。東洋における近代化とは、西洋化のことでもある。朝鮮半島の近代化はまさに、この界隈から始まったのだ。

 広昌洋行は、主にウールを扱ったという。ベネットは後に、イギリス領事代行も務めた。ベネットに嫁いで玄界灘を渡り、4人の子を産み育てた40年余りの歳月を、ハナは仁川で過ごした。

 1938年に没したハナは、仁川市青鶴洞の外人墓地に眠っている。もともと外人墓地は、今のチャイナタウン付近にあったが、1965年に現在の場所に移転した。住宅街の裏手にある木々に囲まれた丘に、多くの墓石がひっそりと並んでいる。

 ハナの墓は、すぐ目につく。移葬の際、元の大きさや形をそのまま模して移されたというから、ハナの墓は当初から立派だったらしい。仁川の大富豪と記録されている人物より、はるかに立派な墓石と、大きな面積を持つ。

 ところが不思議なことに、ハナが仁川に滞在していたころの資料が、どうしても見つからないのだ。

 たとえば母ツルが1899年に死んだときや、父グラバーが1911年に死んだとき、ハナは子どもを連れて日本に戻ったはずだろうが、その渡航記録も見つからない。

 外人墓地に葬られたのだから、ハナはイギリス国籍になっていたのか。しかし有力な日系人として、仁川の日本人社会に影響を及ぼすことはなかったかと推測してみるが、その痕跡も見当たらない。たった100年ほど前のことが、さっぱりわからないのだ。

 当時の貿易などの記録では、日本〜朝鮮〜満洲の移動が頻繁に見られる。長崎と仁川は、今よりも心理的に、もっと近かったのではなかろうか。

 120年前にハナ・グラバーが歩いたこの道を、私も踏みしめながら、郵便局に出かける。時空をふわりと飛んで、過ぎた時代に行ってみたい衝動にかられながら。ここは、近代の痕跡の遺る町だ。

戸田郁子(作家)

(2016.4.27 民団新聞)
 
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