尹チョジャ(元公立小学校教員) この数日間、日本列島が「李忠成」に沸いた。新聞、テレビ、インターネットは李という名前、在日コリアン4世という話題でもちきりだった。「在日コリアン4世」という点に注目を集めたのは、彼が「帰化」しても李という名前であったからだ。どのインタビューでも、李選手がこの話題を避けずに、堂々と真正面から答えている努力と勇気に敬意を表したい。 今回、彼はビジュアルマイノリティの果たす役割の大きさを一挙に示した。日本人ファンの多くは、日本国籍をもつ彼が「李」と名のっていることで、彼の民族的な背景やアイデンティティについて理解と共感を深めただろう。 一方、在日社会はどうだろうか。「帰化」し、「日本国籍」であることをもって4世としての彼らの思いに耳を貸さないという硬直した態度はないだろうか? 韓国メディアの中央日報(電子版)も、李選手の活躍を「在日同胞がやり遂げた」と称えた。そして、かつて彼が韓国でのユース代表候補にあがった時、韓国で「半チョッパリ」という言葉さえ使われて在日差別が行われたことを率直に報じ、彼を傷つけたことを反省した。 李選手は多くのインタビューで「自分を育ててくれたアボジ、オモニに感謝している」と述べていた。2世、3世の時代、在日コリアンの多くは「なぜ生んだ、生まれない方が良かった」と親をなじり、親を隠し、差別に脅えながら育ったものだった。当たり前のように通名を使っていた。 差別に打ちのめされた者の中には自分の人生を投げ出したり、道を誤ったりした者もいた。このような在日コリアンとして自己肯定感をもつ機会に恵まれなかった時代にも、多くの2世、3世はコツコツとまじめに生活し、日本人と付き合い、日本に土台を築いて来たと思う。 2つの文化の中で育った自分を肯定し、「日本と韓国どちらも自分の祖国であり愛し、尊重している」と語る李選手を見て、何と素直で豊かに育ってくれたものかと、爽快さすら感じる。日本国籍で民族名を名のる李選手ら若い世代の出現は、在日コリアンが努力し、日本社会に貢献してきたその土台の上に花開いたものだと思う。 しかしながら、日本社会の状況はきびしい。アジアカップ準決勝の韓国・日本戦の翌日、外国籍の父親をもつ小田原の女子中学生が、級友をナイフで切りつける事件が起こった。民族的いじめを受けたことへの仕返しだった。まだまだ、子どもの世界では在日への差別意識があらわになることが多く、いじめ、差別が後を絶たないのだ。李選手の日本優勝への貢献が、在日コリアンの子ども達へのいじめの反省のきっかけになってほしいと願う。 (2011.2.9 民団新聞) |