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サラム賛歌<9>魂の響きを写しとる
カメラマン金秀男さん

 金秀男さんと出会ったのは30年前、全羅北道のピルボンマウルの村祭りだった。ソウルから出かけた学生たちが車座になってマッコリを飲んでいると、突然、見知らぬアジョシが入ってきて、「自分にもつげ」と偉そうに言った。

 私が日本からの留学生だと名乗ると、韓国の雑誌に寄稿した日本人を知らないかと聞かれた。「私です」と答えると、笑顔で「さあ飲め」と、どんぶりを手渡された。日韓の酒文化についてのエッセイだった。

 ソウルに戻ると電話があって、食事とお酒を振る舞われた。金さんはフリーランスのカメラマンとして、精力的に仕事をこなしていた。

 当時、駆け出しのライターだった私に、「約束時間の10分前には、必ず到着しろ」など、金さんは取材のコツを伝授してくれた。ありがたかったが、酔うと隣に座った人を叩く癖があって、私は閉口した。

 前夜、浴びるように酒を飲んでも、早朝にはカメラを担いで出かけるタフさには、誰もが舌を巻いた。二日酔いで起き上がれない日本のカメラマンは、「人を酔いつぶしておいて、自分だけ良い写真を撮るのが、金先生の作戦かな」と、ぼやいた。

 東亜日報の記者だったころ、ふと目にした巫堂の行う「クッ」に関心を持った。朴正〓政権の「迷信打破」で、巫堂が排斥されていた時期だ。民俗文化が廃れることを危惧し、その撮影に専念するため、職場を辞したという。記録は後に単行本としてシリーズ化され、貴重な資料となった。

 やがて金さんの関心は海外に向かった。沖縄のユタや恐山のイタコなど、死者の魂を呼び寄せる人を撮った。アジア各地の秘境に生きる人々を求めて、憑かれたように飛び回った。

 生前に写真展は少なかった。そんな時間と金があれば、自分は写真を撮りに出かけるよと、いつも言っていた。そしてにやりと笑って、日本語でこう言うのだ。「私は、金秀男です」

 家族にとっては、さぞや困ったお父さんだったろう。原稿料はすべてフィルムと旅費に化けてしまう。カメラを担いで出かけたら、いつ戻ってくるかもわからない。旧正月や秋夕など家庭の行事にも、家にいた例はない。

 しかも倒れたのは、タイの奥地のチェンライだった。父の遺体を引き取りに向かった息子さんの苦労は、いかばかりだったか。それでもソウル大学病院の葬儀場に集まった人々は、「なんて金秀男らしい最後か」と語り合ったものだ。享年57歳。

 なぜそこまでシャーマンを追い求めるのか。酒を飲みながら熱く語る姿を、私は不思議な思いで眺めていた。話に乗ってこない私をいつもバシバシと叩きながら、私に民俗学を勉強しろとどなっていた。

 金さんの撮った写真を今見れば、言いたかったことの意味がようやくわかる。金さんは行事の記録写真を撮っていたのではない。クッの場にいる人々と一体化してその魂を映し、共に泣き笑いし、踊っていた。

 金さんは写真で、そんな魂の響きを届けたかったのだ。暗い展示会場にたたずむ私の耳の奥に、聞きなれた声が響いてきた。

 「私は、金秀男です」

 没後10年にあたる今年、国立民俗博物館で「金秀男を語る」展が6月26日まで開催されている。

戸田郁子(作家)

(2016.6.22 民団新聞)
 
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