李健熙氏は三星グループの創業者、李秉チョル氏の三男。早稲田大商学部などで学んだ後、父の死去に伴い1987年12月に三星グループの会長に就任した。
経営権を握った1990年代、付加価値の高い事業に集中するためにグループの主要事業を分離する作業に着手。93年にドイツで行った「新経営宣言」では「グローバル時代に合わせ変わらなければ永遠に二流だ。妻と子ども以外は全部変えよう」と述べ、常に変革を目指す三星グループのあり方を提示した。
世界市場でも通用する質の良い製品をつくる努力と、半導体やパネルへの積極投資、販売台数で世界一となったスマートフォン事業での果敢な創意工夫で三星を世界有数の電子・電機メーカーに押し上げた。
1987年に1兆ウォン(現在のレートで約930億円)だった時価総額を2012年には390兆ウォンと約40倍に成長させ、総資産500兆ウォンの巨大企業に育て上げた。06年には世界のテレビ市場でソニーを抑えてトップとなり、スマホ市場でも米アップルを抑えて首位に立つ。また、半導体メモリーなど約20品目で世界1位の座を獲得した。
一方で、弁護士による同グループの不正蓄財疑惑暴露に端を発した不正資金事件で2008年に特別検察の捜査を受け、背任などの罪で在宅起訴されると、会長職を退いた。平昌冬季五輪(18年開催)招致に向け国際オリンピック委員会(IOC)委員を務める李氏の赦免を求める財界・スポーツ界の嘆願を受けて赦免された李氏は10年に経営に復帰。五輪招致を成功させるとともに、グループの組織再編や新たな飛躍に総力を挙げた。
【聯合ニュース】
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