
約100年前、韓国人の朴烈とともに逮捕された無政府主義者・金子文子の死刑判決から獄中での自死に至る121日間を描いた『金子文子 何が私をこうさせたか』が2月28日、東京のユーロスペースほか全国順次公開される。
金子文子は1903年に生まれ、権力に抗う人生を生きた虚無主義者(獄中で無政府主義に回帰)だ。父親が出生届を出さなかったため「無籍(無戸籍)者」として育ち、学校にもろくに行けなかった。9歳の時に当時日本の植民地だった韓半島に住む祖母と叔母の家に引き取られる。
しかし、朝鮮の村人を搾取する祖母一家に奴隷同然の虐待を受け、13歳で自殺を決意するが、「ここで死んだら祖母たちの思い通りだ、自分を苦しめている人々に復讐しなければならない」と自殺を思いとどまる。
1919年、朝鮮の3・1独立運動を目撃して、民族解放を求める人々の姿に強い衝撃を受けたことが、文子の人生に大きな影響を与える。16歳で山梨の母の実家に戻され、その後東京で苦学する中で、思想的にはキリスト教から社会主義、無政府主義、そして虚無主義に行き着き、運命的な同志、朴烈に出会う。
・朴烈と同志に不逞社を結成
朴烈は朝鮮で独立運動に参加し日本に逃れてきた。同じ虚無主義者だった二人は同志として、恋人として同棲する。不逞社というグループを組織して雑誌を発行。日本の帝国主義、植民地主義を批判する活動を始めるが、1923年の関東大震災の際に検束され、震災後の朝鮮人虐殺を正当化するため、皇太子を狙った爆弾犯としてでっち上げられる。朴烈が爆弾を入手しようとしたことは事実だが、実際には手に入らなかった。
2人は裁判で死刑を覚悟して思想的な闘いを展開する。恩赦で無期懲役に減刑されるが、文子は減刑状を破り捨てる。栃木の女子刑務所に送られた後、刑務所側は文子に転向声明を書かせようとする。獄中闘争を展開した文子は1926年7月23日、独房の窓の鉄格子に紐をかけ、縊死した。23歳だった。
映画は金子文子の残された生の声を伝える短歌をもとに、これまで空白だった死刑判決から自死に至る121日間の、「わたしはわたし自身を生きる」を貫いたたったひとりの闘いを描く。監督・制作は浜野佐知。主演は菜葉菜。
・獄中手記は韓国でも出版
3・1独立運動の行進に感動する姿、あの人々と共に生きようと誓い、志を一にする朴烈とともに権力に抗う姿がとても魅力的だ。また若い女囚に愛用の万年筆を渡し次代に希望を託そうとするシーンも印象に残る。
海外の映画祭などで先行公開され、ニューヨーク国際映画賞で最優秀主演女優賞など5冠に輝いた。制作にあたり、在日韓国民団関係者から韓屋様式の建築、靴や帽子の入手先リサーチなど協力を受けた。
金子文子の獄中手記「なにが私をこうさせたか」は現在、『金子文子 わたしはわたし自身を生きる‐手記・調書・歌・年譜』(鈴木裕子編・梨の木舎・増補新版。作製鈴木裕子・亀田博)/『金子文子‐自己・天皇制国家・朝鮮人』(山田昭次著・影書房)などが出版。韓国でも翻訳出版されている。
2017年にはイ・ジュンイク監督によって韓国で映画化され、19年に『金子文子と朴烈(パクヨル)』のタイトルで日本公開された。
朴烈は1945年10月に釈放後、民団結成に関与して初代団長を務めたが、再選選挙で敗れ韓国に帰国、韓国戦争時に北朝鮮軍に連行され、1974年に71歳で死去と伝わる。