人の往来は400倍に、姉妹友好都市100組超す 日本23都市結ぶ 65年当時、韓日両国を結ぶ定期路線は、大韓航空(KAL、当時は公社)と日本航空(JAL)が金浦〜羽田間をそれぞれ週3便ずつだ。現在は仁川、金浦、釜山、済州の4都市と日本の23都市を結ぶ路線は多いときで1日400便を数える。 03年11月から運航...
政府見解改善されたが、実質空洞化の言動次々 韓日関係がこの40年間で、質量ともに大きく発展したのは間違いない。しかし、歴史認識の側面でどれほどの進展があったのか、厳しい問いかけが続いており、この問題は東北アジア、さらには東アジアの将来に暗い影を落としている。謝罪文言ない韓日条約前文
「在留資格なき在留」から「特別永住」へ 法的地位の変遷 敗戦後の日本政府は在日同胞に対し、「まだ日本人」・「すでに外国人」という立場を巧みに使い分けてきた。つまり、「外国人」としての権利を否定し、「日本国民」としての権利も与えなかったのである。 例えば、同胞が切実に必要としていた民族教育を、日本国民なのに外国...
「日本人になれというのか」 民団団長、韓国政府代表へ反論…交渉者回顧 韓日会談締結前後の時期に36歳の若さで外務部長官を務め、韓国代表として条約に署名した李東元氏は、著書『大統領を懐かしみながら』(92年。韓国・高麗苑刊)で、難航した法的地位問題について、当事者である在日同胞の多くの耳目が後ろに控えており、双方の実務...
崔承喜公演パンフレット 熱狂呼んだ最後の舞台 朝鮮半島の南北分断からいまや半世紀以上を経過している。南北の対立のなかで、その存在がかき消されていった人々は多い。崔承喜(1911〜1969?)もその一人として挙げることができる。 崔承喜は戦前、朝鮮・日本はもとより欧米・中国を舞台に活躍した舞踊家で、その踊りは多...
5年前の6月15日、金大中大統領と金正日国防委員長は、双方の統一法案に認められる共通性に沿って統一を志向し、経済交流を通じた民族経済の均衡的発展および各分野の協力活性化による信頼確認を目指すなどとした5項目の合意事項と、金国防委員長が「適切な時期にソウルを訪問する」ことを明記した「共同宣言」に署名し発表した。この間、南北の道路が連結され、金剛山観光が定着し...
60年前の朴烈の姿 組織作り奔走の日々 間もなく在日100年を迎えようとしている現在、その時代時代を切り撮ったさまざまな写真映像は一級の歴史資料と言える。 ここに2枚の写真がある。撮られた場所はそれぞれ違うが、2枚とも解放後間もなくの朴烈が写っている。1枚は秋田のわが家にあったもので、あとの1枚は民団山形から...