掲載日 : [2002-12-25] 照会数 : 3488
真の韓日友好へ誓い 尹奉吉義士殉国70周年追悼式(02.12.25)
[ 金沢市野田山で行われた尹義士殉国70周年追悼式 ]
解説碑など新たに除幕
金沢の野田山で
【石川】日帝の韓半島侵略に身をもって抗議し、逮捕・銃殺された尹奉吉義士の殉国から70周年を迎えた19日、暗葬の地・金沢の野田山墓地で韓日の関係者が集って追悼式が行われた。
殉国60周年に当たる92年、野田山墓地の一角に建立された義士の殉国記念碑前には、韓国の国家報勲処、民団、駐日公館、金沢市などの関係者200余人が参列し、尹義士の業績を忍びながら黙祷した。
殉国碑を守ってきた殉国70周年記念事業実行委員会委員長でもある地元民団石川県本部の金次郎団長は、「尹義士が主唱した東洋平和の精神を受け継ぎ、アジアの平和に向けてパートナーシップを構築しよう」と訴えた。また民団中央本部の金宰淑団長や崔元?駐新潟総領事らも「時代を超えた崇高な理念を共感することこそが、真の韓日友好につながる」と追悼の辞を述べた。このほか、実行委員会副会長の稲村建男石川日韓協会長、同じく翫正敏梅軒尹奉吉義士顕揚会会長らも追悼の意を述べた。
殉国祈念碑が建立されて10年の歳月が過ぎ、近年は韓日からの参拝客が訪れるため、碑に刻まれた文字の日本語訳をプレートにした解説碑と記帳台が新たに設置され、除幕式が行われた。
日帝の侵略のまっただ中、尹義士は民族の解放と自由平等を願いながら、1930年に上海に渡り、日本軍の大陸侵略を阻止する機会を待った。1932年4月29日、上海の虹口公園で行われた日本軍の中国上海事変戦勝祝賀兼天皇誕生日祝典で義士は、日本軍関係者が居並ぶ演壇に向けて水筒型の爆弾を投げた。日本軍憲兵隊に逮捕され、同年の12月19日に金沢郊外の三小牛工兵作業場で銃殺され、野田山に暗葬された。25歳の若さだった。
義士の遺骨は14年間、金沢の地下に放置されていたが、光復の翌日の45年8月16日には義士の遺骸奉安委員会が結成され、翌46年3月9日、在日同胞青年の懸命な努力で発掘され、同年5月に祖国に奉還され、国葬の後、ソウルの孝昌公園に安葬された。
(2002.12.25 民団新聞)