
能楽で誘う"宇宙の音色"
現代音楽とも共演 挑戦続く
「ポン、ポン…」。能舞台には欠かせない小鼓。その音色にひかれて20数年、演奏に取り組んできた、在日韓国人2世の裕紀(康貞子、ゆうき)さん。謡(うたい)や打楽器「ハン」とともに、深淵な世界へ誘(いざな)いながら、活動の場を広げている。今回、念願のCDを同胞ピアニストのYUN(ユン)さんとの共作でリリースした。
もともと裕紀さんにとって、能楽はまったく縁のない世界だった。子育てが一段落した1987年、「なにかに打ち込みたい」との思いでいたそんな折、大阪市内の能楽堂近くを歩いていたところ、鼓の音色が耳に入った。「これだ!」。稽古場に入って行き、小鼓奏者の久田舜一郎先生に弟子入りを志願した。
馬の皮でできた小鼓は温度や湿度に影響を受けやすく、チューニングが難しい。「初心者に小鼓の音はなかなか出せない。しかし、何かに取りつかれたかのように、稽古に打ち込んだ」。3カ月後、やっと鼓を持たされた。
3年後、楽器だけで能の世界を理解するのはおぼつかないと感じ、基本である謡を習い始めた。「なぜ能楽が650年も続いてきたのか。世阿弥が宇宙のエネルギーを能に集約させたと思えてならない。能楽がこの世を飛び越えて違う世界へ誘うようで、自分の中で悶々とした気持ちが解き放たれるように感じた」
日本に3つの新しい楽器も
能楽は、基本的に小鼓、大皷、太鼓、笛(能管)の4つで演奏されるが、指揮者はいない。「鼓のかけ声で音を合わせる。このかけ声が大きな意味をもち、来世と現世の橋渡し役を果たす」。10年目からそういう音色を習い始めた。
子どもや若者たちに能をもっと知ってもらおうと、98年に小鼓、笛と謡の3人で能楽グループ「阿修羅」を結成。同時に毎月、神社・仏閣での奉納活動にも取り組んだ。こうした外部での演奏を契機に、ジャズなど現代音楽の若手演奏家から共演の申し込みが相次ぎ、ライブの機会が増えた。
2000年、京都で活動するドイツ出身の尺八奏者ウベ・ワルタさんとの出会いが転機となった。ドイツを往来し、現代音楽との交流が始まった。そこで、宇宙の音を出そうとスイスで製作された円盤形の鉄製打楽器「ハン」(手の意味)に出会う。
「日本に3つしかないと言われる。新しい楽器なので、先生はいない。独学で習った。手作りなので、楽器ごとに音色が違う。自分のイメージで演奏できるのがいい」
「ハン」によって、演奏家との出会いがさらに広がった。10年間続いた四天王寺主催の「聖徳太子演奏会」の最終回に招かれ、小鼓と謡、ハンを披露した。
2年前、ピアニストのYUNさんが興味を示し、訪ねてきた。互いの演奏に波長があい、すんなりCDを出すことを決めた。今月12日に発売されたCDは、タイトル「The Sense Of Wonder」のとおり、不思議な世界を紡いでいる。ピアノと小鼓、ハン、謡による共演は異色のコラボレーションとなった。
「この3つが体内で融合し、やっと自分のメッセージを発信できるようになった」。ここまで続けられたのも「家族の理解のおかげ」という。
父の教え守り2つの国愛し
「自分が在日でよかった」と語る。師匠から、「君の鼓やかけ声は他の弟子とちょっと違う」と言われたことがある。「日本生まれだが、体内の血が情念として出るのでは」
今は亡き父親から、「2つの国を愛し、日本人からも尊敬されるようになってほしい」とよく言われた。辛いときは父の言葉が励みになった。「どこかに、在日としてのハングリー精神があるのかもしれない」。両親への感謝の念は強まるばかりだ。
◇
CD「The Sense Of Wonder」の問い合わせは、メール anotherdream@mx5.canvas.ne.jp (FAX06・6714・6090)、(TEL090・5245・7909)。
■□
プロフィール
裕紀 小鼓奏者。1951年、北海道釧路市生まれの2世。大阪で大倉流重要無形文化財の久田舜一郎氏に師事し、数々の能舞台に出演。一方で、様々なジャンルの音楽家たちとの共演に取り組み、活動の場を広げている。
(2012.5.30 民団新聞)