
延世大学の筆談唱和集研究団(団長=許敬震延世大教授)はこのほど、18世紀に日本の藍島で行われた朝鮮通信使の随行員と日本の専門家のやりとりを記録した筆談集『藍島唱和筆語』(18世紀日本で出版)の178冊全てを翻訳した。
筆談集の全冊翻訳は、韓日両国を合わせて今回が初めて。頁数は3万1550頁、字数は210万360字にのぼる。
筆談集には17〜19世紀の韓国と日本の社会、経済、文化的交流が詳しく書かれている。
筆談は漢字を使って意思疎通をし、主に日本側が尋ね、随行員が答える形だった。
1748年、日本の医官が「この玉壷1本は阿蘭(オランダ)の人たちが毎年贈るワイン」と説明しながら、朝鮮通信使の医員、趙崇寿に西洋ワインを贈る場面も含まれている。
また、1764年2月の名古屋では、江戸幕府の医官、山田正珍が「高麗人参を栽培する方法を聞きたいのですが」と、朝鮮通信使の医員、李佐国に質問している。李佐国は「高麗人参はもともと製造法がありません。日本の医官はいつもその説明を求めるが、事実を誤解しているようです」と答えている。
慶南大学のキム・ヒョンテ教授(国文科)は、「日本の知識人の朝鮮通信使に対する関心が、ハングルを書いて、読むところまで広がった」と説明。実際、1719年に日本の歌人は当時流行した「いろは」をハングルで記録、筆談集に載せた。
筆談集によると当時、朝鮮通信使は日本人に先進文物を伝える外交使節団と認識されていた。300〜500人規模の朝鮮通信使に、2000人を超える日本人が随行した。朝鮮通信使を接待するため、幕府1年間の予算の4分の1の100万両がかかったという。
同大研究団は、年末までに筆談集の翻訳本(計40冊)を出版する予定。
同書はハングル、日本語、影印本などで構成される。出版後、韓日共同でユネスコ世界記録遺産に登録申請する計画だ。
(2012.7.25)