

抜群の歌唱力 世界が認定
挑戦を後押しする企業・政府
日本国内における最近の韓国エンターテイメントの流れとして、ドラマとK‐POPに引き続き、ミュージカルが新しい顔として浮かび上がってきている。韓国で公演されるミュージカルに日本の観客が詰め掛けたり、日本国内で現在、韓国ミュージカルが相次いで公演されている。当初はミュージカルに出演する韓流スターに対してのみ興味があるファンがほとんどだったが、徐々に韓国ミュージカル自体に対する関心が高まりつつある。(写真提供=張智盈氏)
スタートは60年代から
韓国ミュージカルの歴史は1961年に設立されたイェグリン楽団から始まる。韓国特有の情緒がある素材をモチーフに多くのミュージカルを制作、かなりの人気を得た。特に66年、韓国の古典小説『裨將傳(ペビチャンジョン)』を原作にした『「サルチァギ オブソイェ』(済州島なまりで「こっそり来てください」)は、韓国初の創作ミュージカルとして評価されている。
創作を重視したイェグリン楽団とは異なり、民間では外国からのライセンス・ミュージカルが頻繁に上演された。66年に公演した『ポギーとベス』は、韓国で上演された最初の外国ミュージカルである。70年代から80年代にかけて韓国ミュージカル市場を牽引したのは、劇団現代劇場であり、『ジーザスクライスト・スーパースター』、『レ・ミゼラブル』など、英米ミュージカルを主に上演した。
劇団現代劇場が韓国ミュージカルの土壌を押し固めるのに貢献した傍ら、ミュージカルの大衆化を率先した団体は劇団民衆、劇団大衆、そして劇団広場の3社が挙げられる。その3社が83年に合同で上演した『ガイズ&ドールズ』は、爆発的な人気を得た。
80年代の韓国ミュージカルで注目しなければならないことは、大企業の資本が投入され始めた点だ。当時、多くの大企業が小劇場をオープンしたが、ロッテはより大規模な投資をし、89年に韓国初のミュージカル専用劇場であるロッテワールド芸術劇場を開館した。
日本の劇団四季をモデルとし、団員制で運営されたロッテワールド芸術劇場は、韓国ミュージカル史上初めてアメリカと日本の製作スタッフと俳優トレーナーを招聘、舞台の完成度や俳優たちが持つ技術を高めることに貢献した。しかし、93年末、赤字累積を理由に閉館されることとなった。
熱気満ちた90年代飛躍
80年代はミュージカル俳優と専門プロデューサーを輩出したことと観客の底辺を拡大したという点で大きな意味がある。当時の雰囲気を汲み、「ミュージカルを見に行こう」というキャンペーンが実施された。これは95年の「韓国のトニー賞」とも言える「韓国ミュージカル賞」の制定につながった。
90年代中盤になると、韓国ミュージカル界は大企業の参加により、制作本数と投資面でより充実してくる。その代表が、三星グループの映像事業団だ。日本のソニーをモデルとし、複合コンテンツ企業を目指した三星映像事業団は、ミュージカル事業も文化産業の一環として行った。これにより、海外作品のライセンス権確保、新作公演に対する事前投資、韓国オリジナル創作作品の制作事業が進められた。しかし、97年に起こった韓国内のIMF危機のあおりを受け、三星は赤字が累積した映像事業団を解体した。
一方、90年代は韓国創作ミュージカルが飛躍的に発展した時期といえる。制作環境は劣悪だったが、熱気にあふれていた。93年劇団ハクチョンの『地下鉄1号線』は、ドイツの同名原作を韓国風にアレンジした作品だ。純粋な韓国創作劇ではないが、レビュー形式の原作をドラマチックに変更した。また、この作品はソウル・大学路に専用劇場を設けオープンラン公演され、韓国のミュージカル市場の新しいモデルとなった。
専用劇場が相次ぎ登場
95年初演の『サ・ビ・タ〜雨が運んだ愛〜』は、韓国小劇場ミュージカルのバイブルとなる作品だ。興行性と完成度を認められ、これまでの18年間に4000回以上公演された。
90年代以降、数多くの韓国創作ミュージカルが制作されたが、最大の代表作は『明成皇后』だ。95年、明成皇后弑害事件100周年を追慕するために制作されたこの作品は、韓国の歴史をモチーフにブロードウェイ・ミュージカルのスタイルで上演された。これまでの韓国内の公演回数は1000回以上、観客動員数は130万人という記録を打ち立てた。またこの作品は、97年と98年にニューヨーク、02年にロンドンで上演され、韓国ミュージカルの海外進出の扉を開いた。
90年代の発展を土台とし、2000年代にはミュージカルがより産業化された。韓国ミュージカル界の長年の夢だったミュージカル専用劇場が相次いで建設され、才能ある舞台クリエーターたちが数多く生まれた。これまで、商業芸術で無視され続けたミュージカルは公演界のメインストリームに押し上がったのである。
01年末からソウルのLGアートセンターで7カ月間上演された韓国キャストによる『オペラ座の怪人』は、韓国ミュージカルの歴史に新しい転機をもたらした作品だ。製作コスト110億ウォンという、当時においては破格の金額を投資したこの作品は、244回の公演、観客動員数24万名、総売上192億ウォンを記録。韓国において、ミュージカルは産業になる、という認識が生まれるきっかけとなった。
特に、CJエンターテイメントは元々映画製作と配給事業に力を入れていたが、00年代に入ってミュージカル製作と投資、配給事業に進出。現在は韓国ミュージカル界において、なくてはならない存在となっている。CJは日本と中国において現地制作会社と提携、ミュージカル事業を行っている。昨年日本で上演されたミュージカル『美女はつらいの』は、CJが日本の松竹と合作した作品である。
時を同じくして、韓国創作ミュージカル界でもヒット作が相次いで登場した。チャン・ユジョンの『オー! あなたが眠っている間に』(05年初演)、『キム・ジョンウク探し』(06年)、そしてチュ・ミンジュの『洗濯』(05年)は初演から数年経っているにも関わらず、現在でも大学路の専用劇場で上演され続けている。2人を含めた若いクリエーターたちが同時多発的に登場し、現在韓国におけるミュージカル全盛期を築いている。
また、政府が文化産業の一環として、韓国創作ミュージカルの制作を活性化するため「ミュージカル創作ファクトリー」というプロジェクトを稼働したことや、企業らとともに公演芸術投資組合を設立し、ファンド運営したこともミュージカルの発展を牽引している。
各大学にも学科続々と
韓国ミュージカルの発展は、俳優たちの活躍なしには難しかったといえる。韓国俳優たちの歌唱力は海外ミュージカル製作会社たちが認めるほど、水準が高い。日本の劇団四季が06年にソウルで『ライオンキング』の上演が終わった後も、韓国人の団員を継続的に採用していることは、韓国俳優たちの歌唱力のためである。
それに加え、最近の韓国ではミュージカル俳優たちがTVドラマや映画に進出、成功する事例が増えている。韓国ミュージカルのプリンスと呼ばれるチョ・スンウがその代表である。また、韓国の大学ではミュージカル学科が続々と作られ、既存の演劇学科と声楽学科でもミュージカル分野を強化している状況だ。
しかしながら最近、韓国のミュージカル界ではアイドルを主人公にキャスティングする場合が多い。アイドルの出演が、広報とマーケティング及び企業の投資に大いに役立つからだ。しかし、ギャランティーが高いアイドル出演のため製作コストが高くなり、チケット値上げという連鎖効果を起こしている。
また、演技力が足りないアイドル出演が続き、作品の完成度が下がるという指摘もあるが、最近ではいい歌唱力と演技力を持つアイドルたちが多く登場し、批判は少なくなっている状況だ。アイドル出身でミュージカル界で最も大きな成功を収めているのは、『モーツァルト!』、『エリザベート』に出演したJYJのキム・ジュンスである。
この流れとして、世界中で人気を集めるK‐POPアイドルが出演したミュージカルを見に、韓国にやって来る外国からの観客が急増、限界があった韓国内市場で伸び悩んでいた韓国ミュージカルの制作会社に利益をもたらしている。
韓国ミュージカル界は日本に比べて市場規模が小さいだけでなく、劇団四季と東宝のような大規模な制作会社もない。それにもかかわらず、韓国ミュージカルがこれほどまでに急成長できたのは、制作陣たちの無謀とも呼べる挑戦精神や、作家と作曲家たちの質の高い創作意欲、ミュージカルを文化コンテンツとしてとらえ、積極的に支援する政府及び企業の投資がバランスよく合わさったことによるものだといえる。
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プロフィール
チャン・ジヨン ソウル大学で考古学と美術史学を専攻して同大学院(美術史専攻)を卒業。成均館大学大学院で公演芸術協同過程博士課程を修了。1997年国民日報に入社して社会部と国際部を経て文化部で舞台芸術と文化政策を担当。2009年9月から1年間、韓国記者協会の支援で東京大学大学院文化資源学科にて研修。
(2012.8.15 民団新聞)