

被災地の応援歌も
自分のすべてさらけ出す
自らの生い立ちを48番の歌詞に込めた「清河への道」を歌った新井英一さん(62)の最新アルバム「唄魂(うただま)」が8月11日、インサイト・ミュージックから発売された。今回収録された11曲の中で、「元気」と「人間たちの挽歌」は、昨年、東日本大震災の避難所を訪ね歩いての復興応援ライブを機に作った。これまで、「生きる」をテーマに歌い続けてきた。全国を回るライブで、新井さんの歌声は、人間賛歌となって人々の心に届いている。
「嘘はダメ真実こそ」
「嘘というのは見破られる。形が悪くても表現力が悪くても、そこに真実という凄いものがあったら、人はそれを受け入れる」
九州・福岡の出身。韓国人の父と、韓日ダブルの母を持つ。父親は、新井さんが生まれてまもなく、結核に冒され入院生活を余儀なくされた。母親は鉄くず・廃品業を営み生計を立てるが、貧困生活は続いた。差別やいじめも受けた。15歳で家出した後、父の訃報を知った。
29歳でデビューするも、鳴かず飛ばずの状態が続く。父の故郷である韓国慶尚北道の清河に初めて行ったのは36歳の時だ。長期の闘病生活を送った父親と生活をともにしたことはない。母はたびたび、「韓国にお前を連れて行きたい」と話していた。数年後、母親はその夢を叶えることなく60歳で亡くなった。「自分のルーツである親父の国をちゃんと見てみたかった」。清河の風に当たった時「お前、歌え」、とそう聞こえた。
「清河への道」を40歳で作る。45歳で発表した当時は、音楽業界でも在日であることを表面に出すことに難色を示す傾向にあった。プロデューサーから「これを出して、もしかしたらこの国で仕事ができないかもしれない」と告げられた。「いいよ」。日本社会の中で波風を立たせたかった。そのためには自分のすべてをさらけ出すしかなかった。
95年、TBSテレビの報道番組「筑紫哲也ニュース23」のエンディングテーマに選ばれ、脚光を浴びる。その年のレコード大賞アルバム賞を受賞。その後、しばらくして表舞台から遠のいた。
父の国でも念願の公演
だが、活動は続いた。ニューヨークのカーネギーホールなどで5年連続のライブをはじめ、00年はパリでのライブ、02年には韓国の5都市を回る念願の韓国ライブツアーを果たす。最終地点は父の故郷、清河だった。
表舞台から姿を消したのは「自分を必要としてくれる町」を回るため。全国に散らばるファンが主催するライブに17年間、出演してきた。主催者に負担をかけたくないという配慮から、キャラバンに機材や照明を積み、新井さんを含む4人をパッケージにしたスタイルで移動する。
10数年前から寺からの依頼も増えている。口込みで来た人や檀家も集まる。「自分の説法を1時間以上話すより、新井さんの歌はそのまま生きる本質を語っている」と話す住職もいるほどだ。
「ここに来ている人の後ろに眠っている、目に見えない魂を感じて歌う時がある」。聴衆の心を響かせる歌手になりたいと思ってきた。
アルバム「唄魂」でもその気持ちは同じだ。「歌い始めたら、新井英一という存在は無くなっていい。僕の歌の魂が、聞いている人たちの心の中に入り込んでいく。あなたに魂を告げているみたいな歌人になりたい」
昨年、東日本大震災発生後、福島のビックパレットふくしまや、寺などで復興応援ライブを行った。「元気」と「人間たちの挽歌」は、被災者と、被災者に関わる大勢の人たちの心を大事にしたいとの思いで作った。
使命感こめ作って歌う
「被災者の方には、自分にしかない元気を取り戻して、少しずつ強くなってほしい。僕の歌が少しでもその力添えになるなら嬉しい」。歌を作る人間として、歌う人間として何か使命感を持っていたいという。
新井さんの歌には、その時代の背景や生き様が表現されている。今もステージの最後に歌う「清河への道」にファンは、「やはりこれだ」と素直な反応を示す。
厳しい環境の中で生き抜いて、生き続けてきた。「ルーツや自分の親に誇りを持てた。自分があるのは、その環境があったから」。今はその時の自分を俯瞰することができる。
自身は現在もアリラン峠を歩き続けている。「この峠は長いんですよ。簡単に越えられない」。だが、愛する家族たちに見守られながら、いつかその峠を乗り越えていくのだろう。
アルバム「唄魂」は定価3000円(税込み)。問い合わせはインサイト・ミュージック(℡03・3409・7654)。ライブスケジュールは新井英一ウェブサイト。
(2012.9.19 民団新聞)