掲載日 : [2004-12-01] 照会数 : 5154
謎の画家・張承業の人生 「酔画仙」の林権澤監督が語る(04.12.1)
[ 林権澤監督 ]
[ 映画「酔画仙」の一場面 ]
破天荒な朝鮮朝の鬼才
「酔ひて華やぐ神の筆」
朝鮮王朝時代末期の朝鮮画家・張承業(雅号・吾園)の生涯を「風の丘を越えて〜西便制」「春香伝」の巨匠・林権澤監督が映画化した「酔画仙」が18日から東京・神保町の岩波ホールを皮切りに各地で上映される。韓半島が日本・清・欧米列強ら諸外国の角逐の場となり亡国の危機にさらされた時代。平民の身分に生まれ、「画仙」と呼ばれるまで大成した張承業とはいかなる人物だったのか。
「美人画」で高名な申潤福、庶民の暮らしぶりを描いた「風俗画帖」で知られる金弘道らとともに、「朝鮮時代三大画家」と称される張承業。彼の現存する作品は少なく、人生にまつわる逸話も、張志淵の著書「逸士遺事」収録の「張承業伝」に記録されているほかは、口伝えがわずかに残るのみだ。
1843年に平民の身分に生まれ、父母を亡くし、身を寄せる場所もなくした張承業は、奉公先で天性の絵画の才能を開花させた。他者をはるかに凌駕する画才に恵まれながら、当初、張承業は身分と学識の低さから両班に蔑まれ正当な評価を得られなかった。しかし、彼自身の性格を表したかのような豪放闊達な絵は大衆に支持され、張承業は宮廷図画署画員の地位まで登りつめる。やがて宴の座興で神業のような筆使いを披露する彼の絵は両班のステイタスシンボルとして崇められ、その価値の高さから貪官汚吏の賄賂にもちいられることもあった。1897年、55歳で消息を絶つと「金剛山で仙人になった」と噂された。
「酒と女なしでは筆を執ろうとしなかった」「宮廷を3回も逃げ出した」「結婚したものの1日で逃げ出した」など、張承業にまつわる伝承は彼の何者にも媚びない破天荒な性格をよく表している。
林権澤監督は、「張承業についての記録は確かに少ない。しかし、中国書画の影響が強い初期から、個性が確立された晩年までの画法や筆使いによって、彼の苦悩や人生を読み取ることができる。私と張承業は、ともにクリエイティブな仕事に就き、結婚した時期など、人生の節目が同年代。彼は酒と女が大好きだったというが私も大好き(笑)。私たちの人生は重なる部分が多い。私はこの映画で描いた彼の画家としての人生が嘘ではない、と言える」と明言した。
林監督は人々の思惑や独自の画法確立に切迫し、逃亡と放蕩に生きた張承業の人生と絵画を、躍動感あふれる一幅の東洋画として描き、韓国映画初のカンヌ映画祭監督賞受賞を果たした。
韓国きっての名優、チェ・ミンシク、アン・ソンギらの熱演や総勢200人あまりの韓国美術家の協力がこの映画をより味わい深いものにしている。
映画は余韻を残し幕を引く。劇中、詳細に語られることはないが、林監督は張承業失踪の理由を当時の社会情勢をふまえ、こう推測する。
「当時、韓国では『朝鮮画展覧会』と銘打たれた催しもあったが、実質的には日本人主導の日本画の展覧会だった。西洋画も韓半島にたくさん入ってきて、民衆の朝鮮画に対する関心が薄れていった時代。張承業は画家としてプロフェッショナルであり、自分の絵で稼ぐことでしか食べない、という生き方を貫いたのではないか」
物語の終盤、張承業の「どんな壷の完成を期待しているのか」という問いに答えた若い陶工の言葉が、時代と人々の欲望に翻弄され続けた張承業の人生、そして、世の真理を突き、心に響く。
映画の問い合わせはエスパース・サロウ(℡03・3496・4871)。
(2004.12.1 民団新聞)