掲載日 : [2007-10-24] 照会数 : 3450
<読書>天皇の玉音放送 戦争責任と戦後責任を問う
冒頭で「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)の動きを断罪している。「つくる会」の狙いは、日本の侵略戦争を「自存自衛」の戦争だと開き直り美化すること、もう一つは陸海二軍の統帥権を持つ天皇の戦争責任を免罪し、象徴天皇制を「戦争をする国」として再定義することだという。さらに、「つくる会」の台頭により、日本国内のみならず近隣アジア諸国を巻き込んだ歴史認識をめぐる闘争が始まったとしている。
果たして広島、長崎への原爆投下は避けられなかったのか。戦争の最終責任を負う天皇は、戦争終結に向けてどのような情報を持ち、どのように判断していたのか。
「ポツダム宣言」が発せられたのが、1945年7月26日。内閣書記官長はこの宣言によって、日米戦争終結を図ろうと結論づけるが、天皇の意を汲んだ陸軍大臣が仲介を頼んだソ連の返事待ちに固執したため、宣言は黙殺された。宣言が受諾されたのは、長崎に原爆が落とされた翌日の8月9日のことである。状況判断の最大の誤りは、天皇と側近の関心が「国体維持」にのみあり、国民の犠牲など眼中になかったという点に尽きると断言する。
当時の資料を当たりながら、日本の戦争責任と戦後責任を問う。「玉音放送」のCDが資料として付いている。
(小森陽一著、五月書房2400円+税)
℡03(3233)4161
(2007.10.24 民団新聞)