掲載日 : [2007-10-24] 照会数 : 3369
<読書>ある韓国外交官の戦後史 国の命運を双肩に担う自負
36年間の長きにわたり、47カ国116地域で韓国を理解させる外交官として使命を全うした半生が書かれている。そのうち4分の1の時間が、大使館政務参事官、神戸総領事など、日本との関係に費やされた。愛憎が交錯する韓日関係も就任前から想定内であった。
植民地支配下の韓半島で生まれ、満州で育った。解放後は韓国に戻ったものの、6・25韓国戦争で釜山に避難するなど、身を立てるまでには相当の苦労を強いられてきた。
ソウル大卒業後、外務部に入省し、ほどなく韓日会談担当の実務者に指名された。日本は北韓とも交渉すると聞いた韓国側は、「会談を早く結実させろ」という朴正煕大統領の鶴の一声で、会談の中身よりもとにかく急ぐことが優先されたという。
対日交渉の場でどちらがイニシアチブを取るかが、勝負の分かれ目だった。現場の当惑ぶりには同情を禁じえないが、その時の判断がなければ、今の韓国はなかったかもしれない。瞬時の判断力が明暗を分けたと言えるだろう。
その後、金泳三大統領時代にノルウェー大使に就任、IMF危機に陥った時には、年間20億㌦の造船の受注がなくなりかけた。大使として船主らの説得に奔走し、見事収拾した。一国の命運を握り、国際舞台で活躍する外交官の面目躍如である。
(梁世勲著、梁秀智訳、すずさわ書店2000円+税)
℡03(5386)3969
(2007.10.24 民団新聞)