掲載日 : [2007-09-12] 照会数 : 8058
10万ウォン、5万ウォン「顔」は誰に
紙幣の肖像人物10人に絞り込む
09年上半期に発券
韓国で2009年上半期をめどに、10万ウォンと5万ウォン紙幣が発券されることになった。新たな高額紙幣は1973年に発券された1万ウォン以来と言うことで、人々の間では誰が紙幣の「顔」になるのか関心が高まっている。肖像人物の候補は、美術や歴史などの各界専門家10人で構成される紙幣図案諮問委員会での1次候補(20人推薦)を経て、世論調査と専門家の意見調査によって10人に絞り込まれた。だが、肖像候補者は他にも多く、また現代の歴史観をも反映させるだけに論議が続きそうだ。
世論考慮 初の女性も有力
現在、韓国で使用されている紙幣の肖像人物は、朝鮮朝時代の儒学者、李退渓(本名は李滉、千ウォン札)、朱子学者で李滉とならぶ李栗谷(本名は李珥、5千ウォン札)、朝鮮朝4代目王、世宗大王(1万ウォン)となっている。
新紙幣候補者は政治家、学者、科学者、女性、独立運動家の5分野から名前が挙がっているが、現在流通している3紙幣の人物が政治家と学者に分類されるために、残りの3分野から2人が選ばれる可能性が高いとされている。
さらに李成泰・韓国銀行総裁が「女性を採用すべきだという国民世論を考慮しなければならない」と発言していることから、女性候補者が有力視されている。
候補者のなかで特に、国民から高い人気を得ているのが独立運動家の金九で、10万ウォン紙幣に採用される可能性が高いとされている。また女性部門では独立運動家の柳寛順が有力な候補ではあるが、女流画家の申師任堂の人気も高い。
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候補者はこんな人
金 九 独立運動家。号は白凡。黄海道出身。18歳で甲午農民戦争に参加。1896年閔妃殺害に憤り、日本人陸軍中将を殺害。1919年3・1独立運動勃発後上海にわたり大韓民国臨時政府の設立に参画、国務領となる。31年韓人愛国党を組織。32年李奉昌の桜田門事件、尹奉吉の上海虹口公園爆弾事件を指導。40年、重慶臨政の主席に赴任、韓国光復軍を創設し、独立活動を行う。解放後帰国し、南北協商に奔走した。49年、軍人によって暗殺された。
柳寛順 独立運動の活動家。忠清南道出身。5人兄弟の2番目。1916年米国人女性宣教師の援助でソウルの梨花学堂に給費生として入学。3・1独立運動勃発後、故郷に戻り万歳デモを計画。19年4月、市場で独立運動の演説を行い、デモ行進に移ったが、日本憲兵兵隊が発砲、逮捕された。20年10月12日、西大門刑務所内で病死。享年17歳。
申師任堂 朝鮮朝中期の女流画家。江原道出身。監察李元秀の妻。絵は7歳のころから。経典に通じ、書画、刺繍などにも巧みな才能をみせた。33歳のとき3男で偉大な濡学者となる李栗谷を出産。韓国の代表的な良妻賢母。
安昌浩 独立運動家、思想家。平安南道出身。愛国啓蒙運動に従事した後渡米。帰国後、新民会を組織し、民族運動に関わりながら大成学校を設立。
韓龍雲 詩人、僧侶、独立運動家。忠清南道出身。1905年江原道雪岳山百潭寺で得度。1919年2月「朝鮮独立万歳」運動の発起人として参加。
丁若 実学者。京畿道出身。22歳のとき科挙試験に合格。幼いころから詩才に優れ、愛国的な多くの作品を残す。韓国の歴史、地理などでも主体的史観を提示し、西学(洋学)の造詣も深かった。
金正喜 実学者、書芸家、金石学者。はやくから書芸と経学の才を発揮。「秋史体」という独自の書体を生み出す。絵画や書道の作品は国宝となっている。
蒋英実 科学者。妓生の子に生まれたが、科学技術の才能を認められ、世宗大王の寵愛を受けた。正3品の位までに至った。自撃漏(自動水時計)、簡儀台(天文観測台)などの偉大な発明品を生んだ。
周時経 言語学者。黄海道出身。朝鮮語の近代的研究は、李鳳雲、兪吉濬に続き周時経によって本格的に開始。1921年朝鮮語研究会(現ハングル学会)創設。
張保皐 海上王、地方将軍。新羅国内および中国の唐、日本との国際貿易を行い巨富を築く。海上を掌握していた。新羅、中国、日本をつなぐ架け橋としての役割を担った。(順不同)
(2007.9.12 民団新聞)