掲載日 : [2007-09-05] 照会数 : 8173
「鳳仙花」新編集長趙栄順さんの思い
[ 思いを語る趙栄順さん ]
ルーツ大事に本音伝え継ぐ
在日女性の同人誌として、91年1月に創刊された「鳳仙花」。普通の女性たちが思いを言葉に紡ぎ、自らの「身世打鈴」を発表してきた。16年目に入った今年、発刊21号(2007年9月号)から、これまで編集長を務めてきた呉文子さんに代わり、趙栄順さん(52)を新編集長にリニューアルした。新生「鳳仙花」に寄せる思いを趙さんに聞いた。
韓日の心つなぐ場
門戸は広がり 男性からも
「プレッシャーはありますね。大きな責任だと思います。創刊からここまで成長してきたものを引き継ぐというのは。それこそライフワークとして取り組まないといけないという覚悟はしています」
創刊当時、女性たちのつぶやき集と言われた「鳳仙花」。70頁ほどだった文集には、それまで語る場、表現する場のなかった在日の女性たちのさまざまな思いが綴られた。趙さんは創刊号から同人として協力してきた1人として、この間の動向をつぶさに見てきた。
新編集長として取り組んだ21号では、これまでになかった企画を打ち出した。ひとつは「海峡のアリア」で、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞したオペラ歌手、田月仙へのインタビュー。そしてもうひとつは東京・豊島区の同胞デイサービスセンター「東京トラジ会」(金日権代表)の取材だ。
「時代や今という風をどこかで出したいと思いました」と趙さんは話す。同胞高齢者は日本人以上に厳しい環境に置かれている。さらに同胞高齢者たちが憩えるための同胞を対象にした施設は、残念だが数える程度に留まっているのが現状だ。この取材では待ったなしの状況にある高齢者問題について、同胞社会がこれから取り組んでいかなければならない側面にスポットを当てた。
昨年8月、趙さんと堀千穂子さん(現副編集長)は、呉さんから「21号から『鳳仙花』を託したい」と告げられた。「この同人誌は本当に貴重なものです。20号で止める訳にはいきませんでした」。相棒の堀さんは韓国留学の経験もあり、韓国通だ。「在日の代表、日本の代表として2人で刺激し合いながらやっていきたい」と意欲を示す。
趙さんは小学校から本を読んだり、文章を書くことが好きだった。これまで朝日新聞の俳壇で2度入選。今年4月と6月には俳句でも入選。05年にはこれまで「鳳仙花」に発表したきたエッセイをまとめた「鳳仙花、咲いた」を新幹社から出版している。
だが、創刊時の在日社会は「女性は子育て、家事をするもの」といった韓国の儒教的な考えかたが色濃く残り、抑圧されたなかで過ごす女性たちは多かった。
先日、当時を振り返って創刊号から20号まで読み返してみたという。「普通の主婦が自分の思いなり、社会に対して発言したいと思っても発表する場がなかった。だからいろいろな思いを吐き出す勢いというのは強いものがありました」
創刊時の方針守りながら
今、その時代を経て「在日女性の同人誌とは言えなくなった」と話すように社会情勢は大きく変化している。増加する国際結婚。日本国籍を取得しても本名を名乗り、アイデンティティーを大事にする人、韓国から日本に移り住む韓国人などだ。実際に日本人や男性の投稿も増えている。
「いろいろな立場や思いの人がいます。でも言えるのは、『鳳仙花』の同人になってくれる方はルーツを大事にしたい、韓日の架け橋になりたいという願いを持っている人たちです。その声を大事にしないと『鳳仙花』の意味がなくなる」
この15年間に作家として活躍する女性たちも輩出されるなど、「鳳仙花」の果たした役割は大きい。今年2月には「基本的には理念は一致していると思う」と話す、プロを対象にした在日女性の文芸誌「地に舟をこげ」も創刊された。
「皆が本音で語る場。嘘のない言葉を届けていきたいという、この方針はきちんと守っていきたい。文章のつたない方もいますが、そういう方でも語るべき何かを持っていれば技術的なところはカバーできます。沢山の方に投稿していただきたい」。
新生「鳳仙花」は一歩を踏み出したばかりだ。今後、手がけていきたい企画の構想もある。さらに成長していく過程が楽しみだ。
誌代800円。「鳳仙花」編集部(℡03・3758・0523)。
(2007.9.5 民団新聞)