掲載日 : [2008-11-06] 照会数 : 4981
朝鮮通信使の精神継ぐ
[ 4カ国語で記載された駒札(本法寺) ]
江戸時代の朝鮮通信使の訪日に込められた善隣友好と平和への願いを地域で具体化する取り組みが、同胞と日本人市民の手で実現した。京都市内では、京都と韓半島との交流の歴史を目に見える形で残そうと、ゆかりの寺院6カ所に駒札が建てられた。同じく静岡から世界に向けて平和を祈念するプレートが、宝泰寺境内の常夜燈の前に設置された。
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善隣友好 ゆかりの寺に案内板
交流の歴史知らせる‐京都‐
【京都】京都市内の朝鮮通信使ゆかりの寺院・跡地に10月31日、江戸時代の平和な善隣外交の意義と交流の歴史を知らせる「駒札」(案内板)が設置された。これは、コリアンサロン「めあり」の設立5周年記念事業の一環で、市が北区、上京区、中京区、下京区、伏見区の5区6カ所に設置した。
江戸時代、通信使は京都に11回立ち寄った。だが、その歴史を振り返るための拠り所というと、これまでは皆無に近かった。このため、「めあり」では、通信使の来日400周年にあたる昨年から、上田正昭京都大学名誉教授をはじめ仲尾宏京都造形芸術大学客員教授、水野直樹京都大学教授らの協力を得て京都市に案内板の設置を希望してきた。
駒札の解説は日本語、韓国語、英語、中国語の4カ国語併記。仲尾教授が解説を担当し、翻訳は財団法人京都市国際交流協会が協力した。
「めあり」は、これらの「駒札」が京都と韓半島との交流の歴史を広く発信するとともに、相互理解と友好関係のさらなる発展につながっていくことを期待している。
主な説明内容
◎大徳寺(北区紫野雲林院町)豊臣秀吉が誘致した使節団を含め4度、宿泊した。江戸時代に国交が回復すると、壬辰倭乱で朝鮮から連行された被虜人が同宿館を訪れ、帰国を促す通信使随員たちから郷里に残した家族たちの消息を聞き、涙を流したという逸話が残されている。
◎本法寺(上京区小河通寺ノ内上ル本法寺前町)徳川家康新政権の状況調査のために朝鮮から派遣された松雲大師惟政という高僧の一行が宿泊した場所。家康との会見を待つ間、京都五山から著名な僧侶たちが訪れた。ここでは仏教や儒教の知識について筆談問答を重ねた。
◎相国寺慈照院(上京区今出川通烏丸東入る相国寺門前町)23世住職別宗祖縁が派遣先の対馬で使節団の主だった人々と取り交わした貴重な詩文や絵画資料が残されている。
◎本能寺(中京区寺町通御池下ル下本能寺前町)8代将軍吉宗の即位を祝う通信使一行のため、盛大な歓迎宴が催された。
◎本圀寺跡(下京区柿本町)1636年以来、7回にわたり通信使の定宿となった。71年、山科区に移転した。
◎唐人雁木跡(伏見区淀本町)大阪から淀川をさかのぼって船で入洛した通信使一行が上陸した桟橋。実際の場所は設置点より200㍍北方の納所側の地点とされる。
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恒久平和 常夜燈に託した願い
祈念祭、来年も継続‐静岡‐
【静岡】宝泰寺(藤原東演住職、静岡市)境内の「通信使平和常夜燈」に託した恒久平和への願いをハングルと日本語で記した説明プレートがこのほど完成、10月26日、静岡県で通信使事業を担ってきた同胞・日本人関係者の前でお披露目された。
プレートはステンレス製で横57㌢、縦44㌢の方形。〞勝縁を過去の歴史にとどめず、未来につなげ〟との文面は静岡における通信使事業の仕掛け人でもある評論家の金両基さん(75)が監修した。藤原住職が境内にある常夜燈の正面真下、燈の基檀の前に設置した。引き続き第1回平和祈念祭に移り、藤原住職が平和の宣誓を行った。
この後、出席者全員がピンポン玉状のろうそくに原爆の火を移し、水に浮かべて平和を祈った。民団静岡県本部から金光敏団長が出席した。
宝泰寺は江戸時代、朝鮮通信使が計6回立ち寄ったゆかりの地。常夜燈は昨年の朝鮮通信使訪日400周年を記念、藤原住職が「静岡から世界平和の願いを発信していこう」と、金さんからアドバイスを受けながら建てた。モデルとしたのは高麗時代の名刹、高達寺址雙獅子石燈(韓国宝物282号、韓国中央博物館1階に展示)。京畿道・栄州の花崗岩を用い、中国で制作した。広島から運んだ原爆の火を通信使の平和の理念と重ね合わせて灯している。
(2008.11.5 民団新聞)