韓国の近代化に多大な貢献をした在日同胞企業人の記録を残そうと、3年間にわたり共同研究を行ってきた永野慎一郎教授(大東文化大学)に、「韓国の経済発展と在日韓国人の役割」について寄稿してもらった。
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強烈な故郷愛
凄い自己犠牲の数々
現在、海外居住の韓半島出身(以下海外コリアンとする)は約700万人。南北合計約7000万人口の1割が海外に居住している。単一民族として、1割が海外居住者の例は稀である。
海外移住民が祖国の経済発展に何らかの形で貢献した例は数多くある。たとえば、イスラエル、アイルランド、中国、ベトナム、インド、韓国など。海外移住民の共通点は、異郷で差別・偏見と闘いながら、チャンスをつかみ、成功した暁には、自分たちよりもっと遅れた生活をしている故郷または祖国へ支援活動をすることである。それが故郷愛・祖国愛なのだ。
海外コリアンの居住先は中国が一番多く、2007年統計で、約276万人(39・2%)、2番目は米国の約200万人(28・6%)、日本は約89万人(日本国籍も含む)で12・7%の比率である。しかし、祖国・韓国への貢献度は在日韓国人が一番高い。
私たちは、「韓国の経済発展と在日韓国人の役割」という研究課題を設定し、在日韓国人たちの祖国発展への貢献についての調査研究に取り組んだ。2007年4月から大東文化大学に「在日コリアン企業家研究」プロジェクトを立ち上げ、学内外に共同研究参加を呼び掛けた。朴一大阪市立大大学院教授、徐龍達桃山学院大名誉教授他、多くの研究者に参加していただいた。さらに、韓国側責任者として羅鍾一又石大総長(元駐日韓国大使)に依頼し、日・韓・在日研究者による共同研究プロジェクトとしてスタートした。
2008年度大東文化大学特別研究費に採択され、本格的な調査・研究を開始した。研究の趣旨と内容の枠組みを作成し、研究分担を決めるとともに、韓国の経済および社会発展に貢献した企業人のうち、功績が顕著な企業人を事例研究の対象者にリストアップした。調査研究の分担を決め、企業人本人または親族と面接するなどして、調査研究を進めた。
韓国には二度訪問し、在日韓国人本国投資協会、在外同胞財団、世界韓人商工人総連合会、民団本国事務所、済州道庁などを訪問して、資料収集するとともに、関係者とインタビューするなどの調査活動を展開した。調査が進むにつれて奥深い事実が分かり、今まで知らされてない多くのことが見えてきた。
当事者の多くがすでに他界されていたり、高齢や健康上の理由でインタビューできないケースも多かった。中には几帳面な記録を残している人もいるが、記録が残っていない場合も多かった。家族さえ詳細を知らない場合が多い。日本社会で差別を受けながら必死に働きこつこつと貯めたお金を、本国に持っていく1世の父親に対する家庭内の評価は、決して高くはない。妻や子供たちは一般的に冷ややかであるが、孫の代になると、むしろ肯定的な評価をしている場合もある。
低い評価に驚き
済州道を訪問して、済州道の発展こそ在日済州道出身たちの血と汗の結晶であることを実感した。韓国の中でもっとも遅れていた済州道が、在日済州人たちの支援によって豊かな地域として生まれ変わった。周知の通り、済州道の2大産業である観光開発とミカン栽培は在日済州人たちの支援活動から始まった。それだけでなく、道路舗装や電気架設など、生活環境の改善、公共施設の建設、育英事業、学校建設など、在日の支援活動は多岐にわたっている。
韓国経済・社会の発展に対して在日韓国人たちが多大な貢献をしたにもかかわらず、韓国社会での評価があまりにも低いことに驚くばかりであった。『在日韓国人本国投資協会30年史』(在日韓国人本国投資協会編)や『母国に向けた在日同胞の100年足跡』(在日同胞母国功績調査委員会編、在外同胞財団)が近年出版されたが、非売品なので関係者以外にはあまり知られていない。
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国づくりに率先
資金や技術 惜しまず
輸出振興の先兵
朴正煕政権が意欲的に推進した経済開発5カ年計画の資金調達源は、在日企業人たちであったと言っても過言ではない。1964年までの公式統計による財産搬入名目の在日資金だけでも、2569万㌦(現在の価値で換算すると約1億2000万㌦)であった。また、在日韓国人の祖国訪問の際に持参したポケットマネーの外貨が相当あったと推察され、経済発展初期の基礎作りの段階に、これらの在日資金が多大な貢献をしたようだ。
朴正煕政権は、韓日国交正常化を急ぎ、日本から請求権資金を導入する一方、在日企業人たちから資金と経営ノウハウを受け入れた。朴正煕最高会議議長(当時)にアイデアを助言したのは在日企業人であった。
1967年、初の輸出産業工業団地「九老工団」が設立され、多くの在日企業が参入した。進出した在日企業は、電気、電子、化学、肥料、繊維、金属など、当時の韓国では、高度の技術と最新の設備を備えた最先端企業ばかりだ。また、多数の労働力を必要とする雇用創出企業でもあった。九老工団は、80年代半ばまで韓国の輸出額の10%を占め、「漢江の奇跡」の先兵だった。在日企業は輸出によって外貨稼ぎに貢献しただけでなく、部品素材産業が出遅れた韓国に精巧な技術とノウハウを無料で移転し、伝授した功績は極めて大きい。65〜70年に韓国に投資した在日企業は200社を超えた。
三星経済研究所は、九老工団についての報告書のなかで、九老団地が在日僑胞企業誘致を通じて輸出拠点として出発した国内最初の工業団地であると指摘し、九老工団は在日僑胞輸出企業の誘致を通じて先進技術および海外市場に対するノウハウを蓄積したと分析している。当初は、繊維・縫製、カツラ、電気など、軽工業分野を中心に国家輸出を牽引した。71年の輸出額1億㌦、80年には18億9000万㌦を記録。71〜80年の年平均輸出増加率は36・5%であった。在日企業の大部分は中小企業であったが、韓国政府が重点的に推進した重化学工業発展の基礎づくりに寄与した。
在日企業人が創業した著名な企業を挙げると、ロッテ・グループ、コーロン・グループ、起亜グループ(三千里自転車を含む)、韓一合繊グループ、邦林紡績などがあり、ソフトバンクの孫正義氏はソフトバンク・コリアを設立し、IT関連企業に投資した。また、在日資本100%で設立した新韓銀行は、日本で培った経営ノウハウを導入し、韓国の金融界に新風を吹き込み、韓国最古の朝興銀行を傘下に入れるなど、優良銀行として韓国経済発展過程に金融・財政面で支えている。新韓銀行はもはや在日銀行ではなく、グローバル銀行として活躍している。
在日企業人の韓国投資は成功した人ばかりではない。事業としては失敗の方が多い。失敗の顕著な例に、韓国政府権力者の要請に基づいて莫大な資金を投資しながら、不運な出来事によって撤退せざるを得なかったセナラ自動車の朴魯禎氏と邦林紡績(日本では阪本紡績)の徐甲虎氏がある。二人は日本で苦労して貯めた全資産を一夜にして失くした不運の企業人である。事業は失敗したとはいえ、彼らが日本から持ち込んだ資金が韓国の社会経済発展のための潤滑油として作用し、刺激剤となったことは事実である。また、徐甲虎氏は現在の駐日韓国大使館の敷地を提供した。大阪総領事館をはじめ、駐日韓国公館および公邸のほとんどが在日同胞の寄贈によって建設され、国家財産となっている。
在日1世たちは差別の多い日本社会でそれをむしろバネにして、日本人が敬遠する隙間産業を見つけて果敢に挑戦して事業発展に成功した立志伝の人が多い。彼らの大部分は学びたくても働かないと生活できない時代に育ち、働くだけで精いっぱいで、学校へ通う余裕がなかった。学べなかったことを後悔し、民族教育への関心を持ち始め、日本または韓国において奨学財団設立、学校設立など、育英事業による人材育成をしている在日企業人も多数いる。一種の教育インフラ整備事業に在日企業人たちが担った祖国への貢献である。
1月に出版も
この研究プロジェクトの目的は、韓国の経済発展に対する在日韓国人たちの功績について再評価し、歴史の記録として保存することであり、このような事実を内外に広く知らせることである。ソウル大学の金正年名誉教授が「いままで等閑視されていた経済開発への貢献の実態を解明する貴重な作業の出発点」であると述べたように、在日の歴史の発掘作業の始まりであり、問題提起という認識でもある。今回の研究成果は、岩波書店から『韓国の経済発展と在日韓国企業人の役割』(永野慎一郎編)として1月中に刊行される。
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プロフィール
永野慎一郎
ながの・しんいちろう 1939年韓国生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。英国シェフィールド大学博士号。現在大東文化大学経済学部教授、同大学院経済学研究科委員長。東アジア共同体評議会「有識者議員」。主な著書は『日本の戦後賠償 〜アジア経済協力の出発』『相互依存の日韓経済関係』など。
(2010.1.1 民団新聞)