第107周年三一節記念式典を開催

  • 第107周年三一節記念式典を開催
  • 開会辞:蔡駿二 議長
  • 独立宣言文:呉炫栖 事務員
  • 公館長記念辞:崔盛宇 副総領事
  • 団長記念辞:李豊宏 団長
  • 決議文朗読:金直哉 青年会長
  • 閉会辞:成功 監察委員長
  • 万歳三唱:河隆實 常任顧問
  • 参加者による万歳三唱

民団愛知県本部(李豊宏団長)の第107周年三一節記念式典が3月1日、民団愛知県本部で開催され、来賓として駐名古屋大韓民国 崔盛宇副総領事らと民団関係者合わせて280人が参加しました。

記念式典では、県本部の呉炫栖事務員による「己未独立宣言書」の朗読、崔副総領事による公館長記念辞や、民団愛知県本部の李団長のあいさつに続いて、青年会愛知県本部の金直哉会長による決議文の朗読が行われ、満場一致で採択されました。

式典終了後には第二部として、韓国映画「ハルビン」を上映しました。

第107周年 三一節 決議文
第107周年三一節を迎えるにあたり、我々は、民族の自主独立と自存のために犠牲を恐れずに立ち上がった先烈の崇高な愛国精神に思いを馳せると同時にその強い意志を確認した。
我々は、殉国先烈及び護国英霊たちの偉大な民族精神を受け継ぎ、大韓民国の繁栄と平和統一に積極的に参与し、次世代育成と同胞社会の大統合を進め、韓日友好増進の役割を果たしていく。
本年、民団中央創団80周年という意義深き年を迎え、未来志向の在日同胞社会の構築に総力を注ぐとともに、人間の尊厳、世界平和を脅かす差別、排外主義の根絶を目指して次の通り決議する。
一、我々は、3・1独立運動の民族自主・自存の精神を継承し、在日同胞社会の団結と誇りを盤石にする。
一、我々は、韓半島の平和と発展、祖国の繁栄に寄与し、平和統一に向けた意志を継続して拡大する。
一、我々は、民団中央創団80周年を契機に未来志向の在日同胞社会を構築し、次世代育成と同胞の和合と統合を促進する。
一、我々は、ヘイトスピーチ、差別・排外主義を根絶し、在日同胞の人権と尊厳を守る先頭に立つ。
一、我々は、相互尊重と信頼を基盤とした韓日友好増進に積極的に寄与し、韓日両国の懸け橋として果たすべき役割を一層強化する。
2026年3月1日 第107周年三一節記念式 韓国民団愛知県本部 参加者一同

三一独立運動とは?
1919年3月1日から約1年間にわたって続けられた、日本帝国主義の植民地支配に反対した韓国(当時は朝鮮)「民族」の独立闘争。
1910年の「併合」後、韓国人民は日本国帝国主義の苛酷な弾圧と搾取によって、悲惨な運命にさらされました。
そして、韓国人民の抵抗はしだいに活発化しはじめました。面事務所(役所)や憲兵分遣所を襲撃する農民暴動がおこり、1917年以降労働組合の結成がすすみ、1918年からは労働者のストライキも急増しました。
それにロシアにおける社会主義革命の影響が加わり、第一次世界大戦後の世界的な革命的雰囲気のなかで、韓国民衆の独立運動にあらたな高揚をもたらす契機となりました。

2.8が3.1の導火線に
1919年2月8日東京留学生による独立宣言発表(二・八独立宣言)を受け、3月1日、韓国国内における「民族代表」33人により、京城(現在のソウル)・パゴダ公園で独立宣言書が朗読されました。
すると韓国民衆の憤怒は、日本の「帝国主義侵略者」に対する全民族的な反日蜂起となって爆発しました。ソウルでは数十万の群衆が大規模な反日示威を決行し、「独立万歳」を絶叫しながら街頭に繰り出しました。
三一独立運動の烽火はまたたく間に全国津々浦々に燃ひろがり、満州と沿海州・日本・ハワイなど韓国人の居住する海外各地にも波及していきました。民衆の激烈な示威闘争におそれをなした日本の「侵略者」は、警察・憲兵・軍隊を総動員して示威群衆にたいして銃弾をあびせ、多くの愛国者を虐殺しました。
しかし、民衆による大衆的な示威運動は、血の弾圧にも屈せず、怒涛のように前進しながらその闘争を高めて行きました。民衆は斧や棍棒で「日帝」の憲兵分遣所・警察機関・地方行政機関などを襲撃破壊し、一部の地方では武装闘争も展開しました。
この闘争は1年間もつづき、200万人以上の民衆が参加しました。そのため「日帝」の統治機関からは一時完全に麻痺状態に陥いりました。
韓国民衆の挙族的な闘争に直面してあわてふためいた日本の帝国主義者らは、韓国駐屯の日本軍に加えて、4月中旬からは日本からも軍隊を増派して、非武装の民衆に「暴圧」を加えました。

水原・提岩里教会における虐殺
1919年4月におこった水原虐殺事件はこの一典型です。
これは日本人の官憲がソウル近郊の水原付近にある提岩里教会に村民を監禁して放火し、必死に逃げ出す村民を無残にも射殺した事件です。
日本人の官憲はその後も3日間にわたって放火と虐殺をつづけ、数千名を殺りくし数百の民家を焼き払いました。ソウルにおいては蜂起参加者を十字架台にはりつけ虐殺しました。
こうした事件は全国各地で繰り返されました。

おびただしい数の犠牲者が…
3.1独立運動で犠牲になった民衆は1919年3月から5月までの3カ月間だけでも死者7,509名、負傷者1万5,961名、被検挙者4万6,948名に達しました(総督府発表)。負傷者や被検挙者のなかから、その後拷問などで多数の死者が出たことを計算に入れると虐殺された人の数はずっと多くなります。
結局、三一独立運動は韓国民衆の頑強な闘争にも関わらず、成功するには至りませんでした。しかし、この闘争は韓国民衆の反日民族「解放」闘争史上、輝かしい地位を占めるもので、多くの教訓を残しました。
この騒動を通じて韓国民衆は「植民地」民族の解放闘争は、必ず民族の主体的力量と組織に依拠してのみ、成功するという教訓を体得しました。

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