朝鮮通信使日韓友情ウオークの隊列に小田原から合流した。隊長の遠藤靖夫さんには、09年の第2次ウオークの時に、民団の実務者としてお手伝いしたことがきっかけで、今日まで懇意にしていただいている。
豪放磊落な元早稲田ラガーマンの彼とは、明治の重戦車が蹴散らした時代の早明戦の話で酒席は盛り上がり、韓日の政治状況やら在日問題を肴に語り合ってきた。日ごろの体力づくりのためにと、月1回の山手線1周40㌔ウオークもつきあった。私たちには能書きはいらない。ともに歩くだけでよかった。
友情ウオークが4次まで続いてきたのは何故だろう。その問いかけに、遠藤隊長は1次から欠かさず参加している李恵美子の名前をいつくしむように挙げた。在日同胞がウオークの原動力になっている! 韓日の架け橋になっている! そのことに私は小躍りし、いつかそんな一人になりたいと思うようになった。アボジが幼少期に過ごした慶尚南道を歩いてみたい。日本に渡って来た1世の道のりを追体験したい。それがかなわぬ夢の一つになっている。
ソウルから韓日友好親善を合言葉に、50日も遠路を歩いて来た平均年齢68歳強のつわもの達。陽に焼けた精悍な顔つきと健脚ぶりを見ていると、冷え込んでいる両国関係が、「ほんまかいな」と思えてくる。大磯あたりで行きかう車の中から私に向かって大きく手を振り、満面の笑顔を送ってくれた青年がいた。
週末にわが娘と歩く湘南海岸沿いの道を、今日は朝鮮通信使の幟を強風にはためかせながら、日本、韓国、在日の仲間たちが誇らしげに行進する。何とも言えない平和の構図がそこにあった。(C)
(2013.6.26 民団新聞)