唐人町」の言い伝えに往時を偲ぶ 箱根湯本駅から須雲川に架かる弘栄橋を渡る。昨日からの雨で水量が増していた。約10分ほどで北条早雲の菩提寺である早雲寺に着いた。この寺に朝鮮通信使の扁額があるというが、新しく改築された立派な門には扁額はなかった。 私は境内に入って本堂の周りを...
目的は在日の労働力…帰国の友から 援助求める手紙 先行きの見えない「帰国運動」当時の日本の差別社会。子どもたちの将来を悲観していた在日同胞に、「同胞愛」を掲げ、「地上の楽園」だと騙したのが、金日成と御用組織の朝総連である。目をつけたのは在日の労働力だった。良かれと思って結果的に家族を生き地...
在日韓国青年会(鄭昇栄中央本部会長)のルーツを知る旅「故郷訪問団」が先月20日から23日まで、ソウル市と各地方で実施された。68人の参加者...
両国が緊張するいまこそ 日常のつながり生かして 先日、私の主宰する「いいづか短歌サロン」に韓国の古都を詠んだうたが出された。作者はそちらを旅してきたばかりだそうだ。 韓国と韓国映画を愛するこの女性は日韓映画文化交流研究会を主催している。同研究会は最初はイ・ビョンホ...
役人全員が土下座して関所を通す 申維翰が記した紀行文『海游録』を読んでいると、夜も深まってから朝鮮通信使は「三島」に着き、日の出と共に三島宿を出発している。このような強行軍に加えて、箱根越えという難行が待ち構えていた。雨森芳洲が嘆いている。「この嶺は奇険、馬をもってすれば我を傷つけるを恐れ、輿をもってす...
自立した「在日民族」として日本の地で生きる ◆北に帰らなかったのは 幸いにも私と夫の家族や親族は北には誰も行きませんでした。だから、父も悩んだ末に本を出す決断をしたのだと思います。また、私も夫も、父の本があったからこそ、北に行かなかったのです。...
ビーフジャーキー 今回は「ユッポ」をご紹介します。ユッポは漢字で「肉脯」と書き、脯(ポ)は、熨して乾燥させた、という意味で干肉となります。ここで想像が出来た方もいるのではないでしょうか。ビーフジャーキーと言った方が有名だと思いますが、韓国でも昔からある食べ物でした。 『飲食知味』の書かれた朝鮮時...
通い始めて20余年 現地での名はドレミ 編集者として仕事をする中、自力でフリーペーパー『釜山びより』を発行するようになり、早10年。これを核に勝手に釜山PR大使として活動している。 この連載で釜山の話を書いてきたが、私がこのような活動を始めた理由に...
郷土史資料が伝える三島の繋がり 伏見村(現清水町伏見)の宝池寺の正門の前にある一里塚は、修復されていたので時代の重みが感じられない。向かいの玉井寺側の一里塚は、榎木が失われ雑木に同化しているが、江戸時代の街道沿いの状態を保っていた。この一里塚の近くに朝鮮通信使の宿泊した「三島宿」を補完するために設けられ...
父と娘、絶縁10年…葛藤の末、遂に朝総連離脱 ◆朝総連からの報復 夫(李進煕)は小平の朝鮮大学で歴史を教えていました。当時朝鮮大学では「金炳植旋風」が吹き荒れていました。金炳植は韓徳銖議長の妹の夫で、後に北に帰国し国家副主席と...