「若い次世代の選手たちが目を輝かせ、真剣勝負をしている姿に感銘を受けた。スポーツは本当にすばらしい」 メモリアル大会となった第100回韓国国体ソウル大会で在日同胞選手団長を務めた呉公太氏が準優勝トロフィーを手に笑顔で語った。 ◆高校球児時代
自由奪われた帰国者たち…救いたい思い、ずっと ◆日本に残った理由 帰国事業では私だけが残り、両親と兄弟、そして近い親族も帰りました。家内の両親と兄弟も帰りました。 当時、私は教員で帰国を希望して...
ラジオと共に歩んだ生身魂 日本のお盆に当たる韓国の秋夕の終った頃、ソウルを訪れた。台風の影響で晴天に恵まれなかったそうだが、その日は夢から覚めたような秋天が、とこまでも高く澄み渡っていた。 午前11時前、地下鉄9号線の国会議事堂前駅を降り、KBSを訪ねた。 玄関...
鶏1羽使う滋養食 このコラムを始めて1年半ほど経ちました。350年前の『飲食知味方』の料理を紹介し始めた時は、皆さんから「すごいですね、感動しました」という言葉をたくさんいただきました。 最近「先生の普段の料理も食べてみたい」という、ありがたい言葉もいただきます。ということで今回は、季節...
唐人町」の言い伝えに往時を偲ぶ 箱根湯本駅から須雲川に架かる弘栄橋を渡る。昨日からの雨で水量が増していた。約10分ほどで北条早雲の菩提寺である早雲寺に着いた。この寺に朝鮮通信使の扁額があるというが、新しく改築された立派な門には扁額はなかった。 私は境内に入って本堂の周りを...
目的は在日の労働力…帰国の友から 援助求める手紙 先行きの見えない「帰国運動」当時の日本の差別社会。子どもたちの将来を悲観していた在日同胞に、「同胞愛」を掲げ、「地上の楽園」だと騙したのが、金日成と御用組織の朝総連である。目をつけたのは在日の労働力だった。良かれと思って結果的に家族を生き地...
在日韓国青年会(鄭昇栄中央本部会長)のルーツを知る旅「故郷訪問団」が先月20日から23日まで、ソウル市と各地方で実施された。68人の参加者...
両国が緊張するいまこそ 日常のつながり生かして 先日、私の主宰する「いいづか短歌サロン」に韓国の古都を詠んだうたが出された。作者はそちらを旅してきたばかりだそうだ。 韓国と韓国映画を愛するこの女性は日韓映画文化交流研究会を主催している。同研究会は最初はイ・ビョンホ...
役人全員が土下座して関所を通す 申維翰が記した紀行文『海游録』を読んでいると、夜も深まってから朝鮮通信使は「三島」に着き、日の出と共に三島宿を出発している。このような強行軍に加えて、箱根越えという難行が待ち構えていた。雨森芳洲が嘆いている。「この嶺は奇険、馬をもってすれば我を傷つけるを恐れ、輿をもってす...
自立した「在日民族」として日本の地で生きる ◆北に帰らなかったのは 幸いにも私と夫の家族や親族は北には誰も行きませんでした。だから、父も悩んだ末に本を出す決断をしたのだと思います。また、私も夫も、父の本があったからこそ、北に行かなかったのです。...