百済の歴史を語るのに、やはりここは外せない。扶余の扶蘇山城‐。かつては泗 城と呼ばれ、都の後園、また有事の際の防衛拠点として築かれた。百済滅亡の悲劇を今に伝える場所となっている。 正門から入って山を周遊することも可能だが、私は遊覧船で白馬江(錦江)をのぼり、川沿いの後門から山を巡ることにした。船の出る所は「クドゥレ・ナルト」と呼ばれるが...
扶余の町で既にその人の銅像を見た。町のロータリーの中心に、馬上の勇姿が睨みをきかせていた。百済最大の英雄にして殉国の忠臣、階伯将軍。イ・ソジンの主演でドラマにもなったので、その名を知る人も少なくないだろう。 扶余からローカルバスで論山に移動し、ターミナルでタクシーに乗り換えた。目指すは階伯将軍遺蹟地。その人への興味と、その地が天下を分け...
ユニフォームが語る初出場から60年 激闘で刻んだ勝利への執念 ■□2014年ブラジル大会 赤と群青色「太極」鮮やか…装い新たにお披露目
薯童謡への興味に惹かれ、扶余から益山市の近郊、弥勒寺址へと足を伸ばした。発掘調査が進行中と聞いてきたが、大きな格納庫がまずは目につく。覆いの中で石塔の解体補修作業が行われているのだ。側面に描かれた絵で、解体前の姿が窺い知れる。 『三国遺事』が語る薯童伝説の後半‐。武王と王妃(善花公主)が獅子寺詣でに龍華山の麓まで来た時、池から弥勒三尊が...