
青年会中央本部(李将浩会長)は在日韓国人青年の実態や価値観を多角的に把握し、今後の組織運営や多文化共生社会を生きる人々にとっての手がかりとするため、「在日韓国人青年生活史調査」を実施している。本研究では、現代的な潮流を踏まえて、在日韓国人青年のアイデンティティ形成過程や生きづらさに注目した。そして、これら2点をめぐる語りを踏まえたうえで、現代の在日韓国人青年にとって青年会といった民族団体がいかなる意義を持つのかという点に迫る。
B氏‥在日としてのアイデンティティで言うと、在日だからっていう劣等感は持っていたいなとは思う。卑屈になる劣等感じゃなくて、美しい劣等感というか。俺の人生逆境もあったけど、それをはねのける、なんというか、反骨的な劣等感。そういうのは持っていたい。インタビュー終了直前、B氏は上記のように語る。「在日だからっていう劣等感は持っていたい」という語りは、一見すると不可解なように思われるが、彼にこのように言わしめる背景にはどのようなものがあるのだろうか。
B氏は1980年代に関東地方で生まれた男性で、両親と祖母、妹2人の6人家族。両親はともに韓国籍で、彼自身も韓国籍である。生まれた時から民族名を使用していたため、自身が在日コリアンであることは自然と知っていた。しかし、小学校に入学してから、自身の民族性に対する認識が変化する。そのきっかけは、小学校の入学式で同級生から「変な名前」と言われたことである。また、小学校入学直後には「6年生が10人くらい集まって、『お前韓国人だろ』とか言われてボコボコにされた。顔面血だらけ」といったこともあった。
在日韓国人であることをからかわれたりする経験は、中学生になってからも続く。こうした経験は民族性に対する劣等感を募らせたと考えられるが、親身になって寄り添ってくれたのが母親である。母親は彼の中学の卒業式にチマ・チョゴリで出席し、保護者代表挨拶を述べたのである。
B氏:保護者代表挨拶で母親がピンクのチマ・チョゴリで、もう卒業生より目立っているわけよ。男子は「あれってBの母ちゃんじゃん」とか言って、女子は「きれい」とか言っていて。あの時は母親に「やるじゃん」って思ったね。母親も「何も恥ずかしいことじゃない」って言っていて。そういう姿はかっこいいって思う。
B氏は高校でも民族差別を経験することがあった。B氏は最も辛かった経験として自身の机にチョークで「金正日死ね」と書かれていたことを挙げる。当初、誰がこのようなことを行ったのか不明であったが、学校で調査したところ、非常勤講師が行ったと判明したのである。B氏はこの時、「学校に味方が誰もいない」と感じたという。そのうえで、「それまでは同級生とか、子どもからそういうことをされることはあった。でも、大人が、学校の先生がそんなことするって知って、誰も信用できなくなった」と語る。
しかし一方で、彼の支えになっていたコミュニティもある。それが朝鮮奨学会である。朝鮮奨学会では年に数回、全国の奨学生が集まり、夏季合宿や文化祭を行う。彼はそこで全国の在日韓国人との友人関係を育んでいた。
B氏が本格的に青年会に参加したのは20代半ばのころである。青年会に加入した時のB氏は、フリーターとして職を転々としていた。当時の彼にとって青年会は、「自分に他の人とのつながりがないなかで、ここ青年会は俺の居場所になる」という場所だった。そのため、執行部としての活動に意欲的であったが、「全国イベントがあっても、うちの地方はうちの地方だけで固まっている」「俺は奨学会のつながりでいろんな人と交流していたけど、ほかの人が関わりを持とうとしないところに嫌気が差して」しまい、青年会活動に意欲がなくなり離れてしまう。
もっとも、青年会活動から離れてしまった後も、在日コミュニティとの接点が一切なくなったわけではない。B氏は日本人の三味線奏者とともにチャンゴの演奏活動を行っており、民団が開催するマダンなどに演者として参加していた。
そして、青年会活動から離れて10年が経ったある時、マダンを通じて仲よくなった青年が地方本部会長に就任した際、「Bさんに戻って来てほしいってそいつが言うわけ。それがすげー嬉しくて」再度青年会に参加するようになったのだ。
先に、「青年会は自分にとってのつながりがないなかで、ここはここで俺の居場所になる」という語りを引用したが、B氏が10年ぶりに青年会に参加した時期もまた、彼の人間関係が失われた時期であった。彼は当時の状況を「はっきり言って精神的に一番限界。何もできない状態」だったという。すなわち、B氏にとって青年会は失われた社会関係を再度獲得するための場として機能していたのである。
ここで冒頭のB氏の語りを再度引用しよう。
B氏:在日としてのアイデンティティで言うと、在日だからっていう劣等感は持っていたいなとは思う。卑屈になる劣等感じゃなくて、美しい劣等感というか。俺の人生逆境もあったけど、それをはねのける、なんというか、反骨的な劣等感。そういうのは持っていたい。
学生時代に受けた民族差別の経験を見ると、彼は「在日だからっていう劣等感」を持たざるを得ない環境であったように思われる。しかし、そんな彼を支えてきたのは、民族を恥じない母親の姿や朝鮮奨学会といった在日コミュニティであった。彼の辛い経験は「劣等感」を抱かせざるを得ないが、周囲の支えによって「卑屈になる劣等感」にならなくて済んだといえるだろう。
彼にとって民族は、結果として人生の逆境を「はねのける」ための資源になっていたということができるだろう。もっとも、現在では「在日として」よりも「何人でもない」というのが偽らざる感覚だという。
B氏の前半生は「民族の苦しみ」との対峙であった。しかし現在では、「民族の歓び」を享受している。そのようにまとめることができるのではないだろうか。