機能不全著しい検定制度
政府は10月12日、17年度から使用する中学・高校生用の歴史教科書について、多様な教科書が発行可能な検定から1種限定の国定制度にすると発表。これに対する反発はきわめて強く、国論を二分する事態になっている。
朴正煕大統領時代の74年、中高用歴史教科書はそれまでの検定から国定制度に変更され、中高合わせて11種あった教科書が中高各1種に再編された。金大中大統領時代の02年、検定制度に戻す方針を確定。部分導入を経て11年度には全面的に実施され、高校用だけでもこの年に6種、14年度には8種が発行された。
だが、検定教科書のほとんどが左傾史観=北韓に従属するいわゆる従北史観とされ、韓国を貶める一方で北韓を擁護・礼賛する記述が多いと指摘されてきた。韓国では80年代に、北韓の主体思想を信奉する勢力が台頭し、政治・言論・教育・文化・法曹・宗教などの各分野に浸透した。その影響がもっとも濃厚に表れたのが歴史教育分野で、検定制度への転換はこうした勢力に追い風となった。
検定で修正命令を出しても執筆者らは拒否し、逆に政府を相手に訴訟を乱発してきた。教育当局が反発する左派に適切に対処できなかっただけでなく、保守系の政治指導者や歴史学界の重鎮らが攻撃を恐れて見ないふりを決め込んできた影響も大きい。
その結果、ソ連の強い支持と中国の支援了解を得て周到に準備した北韓軍の全面的な奇襲南侵で始まった6・25韓国戦争を、38度線での散発的な南北衝突に原因を転嫁する記述や、10年3月の北韓軍による韓国海軍哨戒艦「天安」爆沈事件を米国の仕業、あるいは座礁による事故と印象づける教科書などがまかり通るまでになった。
野党も歴史学界も全面対決する構え
国定化について政府当局は、「部分的に直すだけでは、問題の根本的な解決にはならない」とし、「政府が直接、歴史的事実に関する誤りを正し、歴史教科書の理念的偏向による社会的論争を終息させるために、避けられない選択だった」と強調している。
野党の新政治民主連合はこれに対し、政府は特定の教科書以外を「偏向的教科書」と見なし、「学校が『親日独裁美化教科書』を採択しないから新しい教科書をつくるということだ」「結局は独裁や大企業の美化に向かう」と非難した。
韓国歴史学界の代表機構である全国歴史学大会協議会に所属する学会など28団体も「民主化とともに克服された旧時代の産物」だとして反対の共同声明を発表、国定化方針の即時撤回と歴史学者全員の執筆拒否を求め、全面対決の構えを見せている。
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国論二分
過激集団に追い風…抗争の長期化避けられず
中学・高校用歴史教科書の国定化方針などに抗議する集会・デモが今月14日、ソウルの中心部で強行された。主催者側の推定で13万人(警察推定6万8000人)が参加、08年のいわゆる「狂牛病騒擾」とも呼ばれた米国産牛肉の輸入反対デモ以来で最大規模という。
デモ隊はこの日、昼頃からソウル二十数カ所に分散して事前集会を開き、光化門広場に雲集、青瓦台に向かう動きを見せた。バスを連ねて阻止線を張った機動隊と攻防を繰り広げ、双方に多数の負傷者(機動隊員113人、デモ隊29人)を出している。過激さにおいても狂牛病騒擾に匹敵するものがあった。
暴力デモ主導した職業的活動家集団
機動隊のバスにレンガを投げつけ、鉄製の梯子やパイプで窓を破壊、火を付けた新聞紙やスプレー缶を車内に放り込むばかりか、バスを横倒しにする荒技も見せた。また、機動隊員にスリングショット(パチンコ)で工業用ボルトを打ち込む姿も確認されている。
この過激デモを主導したのは韓国進歩連帯、全国民主労働組合総連盟(民主労総)、全国教職員労働組合(全教組)など左派系53団体だ。なかでも、中心的な役割を担った進歩連帯は、デモ・扇動を専門とする職業的な活動家集団として知られる。
デマの流布によって市民を駆り立てた狂牛病騒擾、翌09年の龍山事件(ソウル市龍山区漢江路の再開発に反対する住民が立てこもったビルで、住民のつくった火炎瓶が大量に持ち込まれていたシンナーに引火し、爆発、住民5人と警官1人が死亡)のほか、済州道海軍基地建設反対やセウォル号沈没事件糾弾なども主導した。
この集団は反体制・反政府の急先鋒を存在理由にしており、今回のデモでも教科書の国定化反対のみならず、「国家保安法廃止」、「国家情報院解体」、さらには「退陣せよ! 朴槿恵」などをスローガンに掲げている。
職業的な活動家集団が組織するデモ行為は、それが過激になればなるほど彼らを孤立させずにはおかない。孤立すればするほどより過激になり、いずれ社会的に淘汰されることになる。しかし、今回の国定化問題については彼らを勢いづかせ、長期にわたる闘争を可能にさせる要素が少なくない。
世論調査会社の韓国ギャラップが10月23日に発表した調査(対象1010人)結果によれば、政府の国定化方針について「反対」が47%で「賛成」の36%を11ポイントも上回った。前回の調査では「賛成」「反対」が42%と同率だった。朴大統領の支持率は42%で前回より1ポイント下落、不支持は3ポイント増の47%。不支持の理由としてもっとも多かったのが国定化方針(22%)だ。過激集団のプロパガンダが成功しつつある。
高校生たちも声をあげた。10月17日にはソウルで「韓国の歴史教育は死にました」「歪曲された歴史が含まれる国定教科書を強要しないで」などと書かれたプラカードを掲げてデモ行進も展開した。全教組教師の示唆・誘導があったにせよ、教育を受ける当事者たちに広がりを見せる可能性は排除できない。
10月30日に開かれた第58回全国歴史学大会でも国定化問題について共同声明が発表された。「その時々の政権によって歴史解釈が独占され、歴史教育自体が絶えず政争の対象になる」「(教育の)政治的中立性を保障した憲法精神と衝突する非民主的制度で、民主化とともに克服された旧時代の産物」と断じ、多様な教科書こそグローバル化時代を担う人材を育成できるとしている。
問題認識しつつも世論は反対が優勢
一般論からすればまさにその通りであろう。保守系を含む各メディアの論調でも、現行教科書に多くの問題があることを認めながらも、検定の強化で対応すべきであるとして国定化には否定もしくは慎重論が優勢だ。景気の停滞、所得格差の拡大、青年失業率の高止まりなども絡み、進歩連帯などの過激なデモを抑止する空気は簡単には強まりそうにない。
しかし、「政治的中立性を保障した憲法精神と衝突する」との視点があるならば、現行教科書がその憲法精神に背反する記述に満ちている事実にも目を向けねばならないはずだ。また、多様な教科書の採択を保障せよと主張するのであれば、14年度版高校教科書8種のうち、特定の1種に左派系が猛攻撃を加え、異なる視点の教科書を採択できないようにさせた現状を放置していいはずがない。
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歪む教育
安保・統一の障害に…「国民の教科書」へ全力を
検証できる透明化早くも難航の予想
政府当局は「憲法の精神と客観的事実に立脚した教科書」を「執筆から発行まで全過程を透明化し、国民が検証した、国民の教科書として開発する」と言明した。だが、この作業は難航が予想されている。信念があると評される学者まで執筆参加をためらう状況のなかで、全過程で透明性を確保することは容易ではない。
さらに、たとえ多くの国民が納得する内容の国定教科書が編纂されたとしても、教育現場で実際に使用させるには険しい関門を突破しなければならない。各学校に全教組系教師が勢力を張っているだけではない。自治体の教育行政を統括する教育監(教育長)に全教組系が多く、彼らが連携して立ちはだかるのが目に見えているからだ。
教職員組合の一つで民主労総の主要な加盟団体である全教組は、人類史でもまれな成功を遂げた韓国を、米国と親日・保守の隷属・分断勢力がつくった《悪の国》、世界最貧の破綻国家である北韓を、抗日独立運動を継承する自主・統一勢力がつくった《善の国》とする史観に立っている。
全教組は、北韓の社会科学院歴史研究所の「現代朝鮮歴史」(85年発行)をほぼ丸写しにした教材「我がはらからを生かす統一」を発行したことがある。そこで、「南の同胞を反動政治から解放するために、人民軍将兵は勇気と献身性を発揮しなければならない」との金日成演説(50年6月26日=6・25全面南侵の翌日)をそのまま掲載し、民衆の人権と生活を踏みにじって核兵器開発を優先する奇形の論理である先軍政治を「世界政治史でも例を見ない独創的な政治方針」とまで称えた。
露骨な従北性向が指弾され衰退傾向にあった全教組は、息を吹き返したと言われる。昨年の6・4統一地方選挙と同時に行われた17主要都市・道の教育監選挙で、全教組系が13人当選したからだ。保守系は3人、中道が1人だった。しかも、全教組系の教育監候補たちは、検定教科書とは別に新しい歴史教科書を開発し、認定図書として登録することを共同公約にしていた。左傾史観の浸透が目立つ現行の検定教科書でも飽き足らず、自らの歴史観をより全面に打ち出す教科書を普及させようということだ。
ある全教組系教育監は当選後、「もし、国定教科書が発行されれば、自主的に補助教材をつくる」と述べ、「そうなれば、授業時間に国定教科書は反故になる」と息巻いた。教育監は学校の予算配分権や人事権など強力な権限を行使でき、教育現場はその意向を無視できない。
ソウル市教育庁は8日、「来月から、ソウル市内の500以上の中学・高校に『親日人名辞典』を配布する」と発表した。ソウル市議会が昨年末、同「辞典」の配布経費を予算化したものの、保護者や保守団体の反発で先送りされていた代物の配布を強行しようというのだ。
この「辞典」は左派系の民族問題研究所が09年に発行したもので、日本の統治時代に「親日行為」をしたとされる4389人の「行跡」を収録した。光復後に設置された反民族行為特別調査委員会が特定した688人の6倍強だ。張勉元首相、朴正煕元大統領のほか愛国歌を作曲した安益泰も含まれた。親日行為と判断する基準がきわめて曖昧で客観性に乏しく、その政治的な意図が論難の対象になっている。
民族問題研究所は12年、韓国の現代史を「親日・独裁・分断・守旧勢力」と「自主・民衆・統一・民主勢力」の戦争だったとする「百年戦争」というタイトルの動画を作成した。彼らの理念では前者が韓国、後者が北韓を指すことは言うまでもない。
ソウルは全韓国の2割にあたる人口1000万を擁する巨大首都だ。その公の機関が公費で、特定の歪んだ視点で編集された「辞典」を配布しようとする現実をどう見るべきか。
国防部は11年8月、この年に発行された検定歴史教科書6種を独自に分析し、その結果を「高校韓国史教科書(現代史分野)歪曲・偏向・記述問題を正すための提案書」に、概略次のようにまとめたことがある(ちなみに、この提言はまったく生かされていない)。
「我が軍は最大の脅威である北韓から大韓民国を守るために存在している。しかし、現教科書は入隊前の若者たちに、大韓民国に対する冷笑的視覚と北韓に対する幻想を植えつけている。国軍を『護国の干城』ではなく、国家発展を阻害し、国民を弾圧してきた集団と罵倒している。入隊後、精神武装に重大な支障を招き、安保体制を弱化させる」
朴槿恵大統領は今月5日に開催された統一準備委員会会議で、「統一に向かう韓国にとって非常に重要なのは、国家への強い自負心と歴史に対する明確な価値観であり、これがあって初めて統一の始まりだ」と強調し、「(現状では北韓勢力に)思想的な支配を受けるという呆れた状況が発生しかねない」と危機感をあらわにした。
在日・在独同胞ら海外代表の参与も
韓国現代史に巣くう理念葛藤のすさまじさは、もう一段の経済・社会発展を阻害するだけでなく、安保・統一問題の障害になっているのは否定できない。それは、中高の歴史教科書の改善が必須要件ではあっても、その国定化をもって解決できるレベルを超えている。現状での国定化はむしろ、現行教科書の問題点を後ろに追いやり、「検定」対「国定」の相克に争点を変質させかねない。
であれば、「国定1種」にとらわれず、柔軟な対応があってしかるべきだ。保守系メディアからも「検定教科書を廃止せず、問題点の改善努力を先行させ、政府の介入のない国定教科書を学界・専門家が協力してつくり、検定か国定かを学父母・教師が最終選択すべきだ」との提案(11月18日付中央日報「中央時評」)もある。
「政府介入のない国定教科書」という概念が成立するのかは疑問だ。だが、その手法で「国民の教科書」をつくることは可能だろう。韓国の歴史認識をめぐる葛藤や歴史教育の改革は、5年1期の政権では荷が重い。望まれるのは政権を超えた国民運動であり、しかもそれは、植民地時代あるいは産業化時代に派生し、大韓民国の建国・発展に献身した在日・在独など、多くの海外同胞の加わる一大国民運動であるべきだ。
(2015.11.25 民団新聞)