掲載日 : [2016-06-29] 照会数 : 4603
「到来まつり」上関町初開催…申請史料展示も
【山口】朝鮮通信使が寄港した上関町で19日、同町としては初の「朝鮮通信使到来まつり」があった。町観光協会がユネスコ記憶遺産登録への気運を高めようと町総合文化センターで開いた。
会場では申請資料の一つ、朝鮮通信使船団の入港を描いた絵図「朝鮮通信使船上関来航図」(超専寺所蔵)が特別展示され、町内外の人たちの注目を集めた。対馬藩および関係する藩の船団に警護されて航行する様子や通信使を迎え入れる港の様子などが描かれている。
上関は当時、萩藩の直轄地で、海上交通の要衝として栄えた。記録によれば朝鮮通信使は1607〜1764年、往路で11回入港した。下関を出て瀬戸内海を下蒲刈(呉市)に進むにあたって水や食糧を調達したものと考えられている。
ステージでは韓国伝統舞踊団ポドルフェ(大阪府東大阪市)のメンバーが、通信使を模した衣装で行進曲を奏でた。また、扇の舞や五面太鼓を披露して観衆を沸かせた。代表の高茂成さんは、「異なる文化が交流するなかで新しいことが生まれる。通信使は象徴だと思う」と話した。
このほか、通信使の足跡をたどるドキュメンタリー映画「李藝」の上映や歴史講座、伝統衣装の試着体験コーナーも設けられた。同協会の安田和幸事務局長は「日韓の友好関係を深めることができたのでは」と語った。
(2016.6.29 民団新聞)