掲載日 : [2019-06-12] 照会数 : 7504
朝鮮通信使 善隣友好の径路を歩く<27>岐阜県大垣市
[ 美濃路を通り過ぎる様子を模して始まった「朝鮮山車」、現在は「榊車山」に引き継がれている ] [ 倉庫の屋根裏に眠っていた「朝鮮山車」の関連品 ]
「朝鮮山車」の伝統引き継ぐ大垣祭
毎年5月になると岐阜県大垣市では、大垣祭が開催される。美濃路を朝鮮通信使の行列が通り過ぎる様子を模して、1648年(慶安元年)に竹嶋町の人たちが、八幡神社の祭礼に「朝鮮山車(だし)」を繰り出したのが始まりであった。
資料では「朝鮮王山車・唐人行列」とか、朝鮮通信使が全昌寺に宿泊したことを由来して「全昌寺練物」と呼ばれたこともあった。それから練物の屋台に飾り立てた大将官人形の朝鮮衣装は、京都西陣の織物と記されていた。それらの風景が一風変わっていたことから、異国の「曳山(ひきやま)行列」として話題になった。
しかし明治維新後、廃仏毀釈運動の一環として、神道に関係のない祭りは排斥された。竹嶋町の人たちは、必死に朝鮮山車を残そうと「朝鮮王竹島町」の幟(のぼり)を「猿田彦大神」に変えたりしたが、朝鮮山車は1874年に姿を消した。現在の高嶋町の山車は「朝鮮山車」から「榊車山(さかきやま)」に引き継がれた。
大垣市の歴史学者・山田春美さんが市の文化財を調べていたとき、山車倉庫の屋根裏に眠っていた衣装箱の中から「朝鮮山車」に関連した品々が発見された。そのとき100年もの間、ずうっと眠っていた遺物が蘇ったのである。
朝鮮服は2点。金襴の幾何学紋様に朝鮮民画から影響を受けたであろう文具模様。もうひとつは伝説の生きものなどを配した物。両方とも刺繍が施されていた。祭事衣装以外にも綿の靴、冠、笛なども見つかったという。
大垣市郷土館には、それらの品々が陳列されている。特に朝鮮王の国使を模した大将官人形の頭部、そして両脇には「朝鮮王」と「猿田彦大神」の幟などが、来館者の目に止まる。
大垣市十六町の人馬を提供する問屋場では、朝鮮通信使に親しみを感じ「豊年踊り」を催した。ささやかな手作りの行列は、朝鮮服のラインを演出するため野の花を衣装に貼りつけた。楽器は竹で朝鮮笛やラッパを真似てこしらえた。しかし当時を受けつぐ祭りは1962年(昭和36年)に途絶えてしまった。
それから家康の三回忌から始まった名古屋東照宮の祭礼。ここでも唐人風の衣装での行列であった。そのときの唐子車は名古屋祭りに引き継がれている。
世界記憶遺産に候補になってからは、朝鮮通信使の行列はより拡散され、四天王寺ワッソにも登場するようになった。
藤本巧(写真作家)
(2019.06.12 民団新聞)