掲載日 : [2019-06-26] 照会数 : 7467
時のかがみ「学会で白熱の論争」荒木潤(翻訳・執筆業)
[ 示威行進の舞台となった古墳「鳳凰台」 ] [ 慶州石窟庵の仏像 ]
慶州第1教会の行進 民族文化運動の口火に
一昨年、慶州の教会で最も伝統がある慶州第1教会(1902年設立、以下第1教会)の長老が慶州の近代を研究している私のことを聞きつけ、突然我が家を訪ねて来た。曰く、植民地期、第1教会は1919年の慶州3・1運動を主導したが、100周年を前に、資料が足りず、全容が分からない、何か手掛かりはないかとのこと。
以来、第1教会と協力しながら資料を集め、考証を加え、以下の結論を得た。
慶州3・1運動は第1教会の信者たちが中心になり、3月13日の市の日に計画された。しかし、その動きを慶州の日本人有力者・諸鹿央雄(もろがひでお)が察知し、警察に密告、首謀者は逮捕された。
逮捕を免れた信者たちは計画を立て直し、3月15日の市の日に「鳳凰台」と呼ばれる古墳の前で100人程度の群衆と太極旗を打ち振り、「独立万歳」を叫びながら示威行進を行い、警察により解散させられた。
1年前後の刑期を終え、出獄した第1教会の信者たちは古代新羅の栄華を伝える慶州の文化財が国を失った朝鮮人に民族的自負心を喚起する絶好の素材になることに着目、保全や広報運動に取り組みはじめた。
特に彼らが朝鮮各地で展開した、慶州の文化財の写真を映写する「幻燈会」は重要な意味を持つ。各地朝鮮人たちは「幻燈会」を通じて、仏国寺や石窟庵など優れた古代新羅文化に初めて視覚的に出会った。彼らは新羅の文化財が映写される度に惜しみない拍手を送り、会は深夜まで続いたという。「幻燈会」が植民地期の朝鮮人の民族意識維持に貢献したことは明らかだ。
慶州3・1運動は小規模だったが、こうした活動の導火線になった点で極めて重要な意味を有し、厳しい監視を巧妙にかいくぐり活動した第1教会の信者の情熱と知恵は素晴らしかった。
以上の内容を昨年10月に第1教会の礼拝時間を借りて説明したところ、大きな反響を呼び、今年の慶州3・1運動100周年記念行事でも第1教会の礼拝堂で基調講演を担当した。
信者からこの内容が全国的に共有されればという声が上がり、去る6月はじめにソウルへ出かけ、韓国キリスト教会史研究をリードする韓国基督教歴史学会にて発表する機会を得た。
発表後、ある気鋭の学者が提起した「総督府の策略に対する言及が甘い」という指摘に対し、私は「そのような策略の強調は重要だが、ともすれば朝鮮民衆の主体性を見えないものにする」と応酬し、議論は白熱した。わざわざソウルまで出向いた甲斐がある、刺激的で楽しい学会だった。
このように日本人研究者が3・1運動について地方の教会で講演をし、単身ソウルの学会へ乗り込み、自由に論議を交わすなどということはひと昔前ではまず考えられなかっただろう。
今日韓国には植民地期に関する言論の自由がないといった言説が日本で流布しているようだが、そうだろうか。少なくとも私の経験にはあまり当てはまらないことだけは断言できる。
(2019.06.26 民団新聞)