掲載日 : [2023-02-01] 照会数 : 1610
草の根日韓交流45年 川崎市日韓協、斎藤文夫名誉会長
[ 民団神奈川本部の李順載団長から感謝状を贈られる(1月) ]
[ 斎藤文夫名誉会長 ]
【神奈川】川崎市日韓親善協会を設立し、45年間の長きにわたって韓国との交流をけん引しながら地域の在日韓国人の権益擁護にも献身してきた斎藤文夫さん(94)が勇退し、このほど名誉会長に就いた。民団神奈川本部(李順載団長)は斎藤名誉会長の長年の功労を称え、今年の合同新年会の席で「感謝状」を贈った。日韓親善に半生をささげた斎藤名誉会長の足跡を振り返った。
川崎市日韓協は1977年3月30日、市内のホテルで産声をあげた。民団川崎支部の朴点圭支団長(当時)からの要請を受けた斎藤さんが「やりましょう」と即答し、設立総会が実現したのだ。当日は地域の政財界人250人が参加した。会長には川崎市商工会議所名誉会長(当時)の根本茂さんが就き、斎藤さんは79年に第2代会長に就任するまでは補佐役に徹した。
当時は民団と総連の間で対立関係が厳しかった時代。設立総会当日、会場となったホテル周辺には朝鮮総連が「南の傀儡と手を結ぶのはけしからん」と朝から反対の街宣車を走らせ、入り口では嫌がらせの写真撮影まで行ったほど。
そうした妨害行為が斎藤さんの反骨心を奮い立たせた。「なにがなんでも日韓親善協会を命を懸けてやってやろう」と意気込みを感じたという。
川崎市は歴史的にも韓国と深い関係にありながら、当時まだ地域住民同士の交流が皆無に近かった。民団川崎支部は隣人同士、草の根の交流を望んでいた。斎藤さん自身も道で会えば気軽にあいさつできる親せきづきあいをめざし、日韓親善ゴルフやボーリング大会、バーベキュー会、両国の家庭料理の勉強会などを重ねてきた。
96年には第17次訪韓団長として京畿道富川市を正式訪問し、川崎市との友好姉妹都市調印への露払い役を務めた。
また、川崎市議会には日韓市議連盟の結成を積極的に働きかけ、12年には定数60議席のうち実に59議員が参加して発足。このことが19年12月、不当な差別的言動を行った者に対して、刑事罰を課すと定めた日本初の「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」の成立につながった。
長年、地域で草の根レベルの友好を築いてきただけに、斎藤さんにとってヘイトスピーチは論外。テレビで知ったときは、「恥ずかしいやらふがいないやら信じられない思いでした」と振り返った。「日本が一流国というのなら、多民族と共生していかなければならない。ヘイトスピーチは日本人の恥である」と喝破した。
斎藤さんは昨年12月、総会で会長の座を田中和徳衆議院議員に譲った。
さいとう・ふみお 1928年生まれ。神奈川県会議員を経て86年から98年まで2期、参院議員。神奈川県日韓親善協会連合会および川崎市日韓親善協会会長、神奈川県および川崎市観光協会会長、川崎港振興協会会長を歴任。浮世絵が趣味で個人で約4000点を所有している。
(2023.2.1民団新聞)