中国朝鮮族の故地 延辺自治州を訪ねて
去る8月末、中国の延辺朝鮮族自治州の州都・延吉市で開かれた第1回グローバル韓食文化国際フォーラムに参加した折、主管団体である延辺朝鮮族伝統飲食協会のはからいで白頭山天池、豆満江といった観光地、民族博物館、延辺大学、市場などを見学。また、彼らと語らう中で朝鮮族の歴史と民族性、生活状況などを垣間見ることができた。その中で痛烈に感じたのは、国情の違いからくる在日同胞社会との大きな差異だった。3回にわたり紹介する。
30%の下限ライン
成員減少に危機感…92年の韓中修好が転機に
200万の同胞在住
海外同胞700万人のうち、最も多いのが中国で200万人を超す。そのほとんどが吉林、遼寧、黒龍江のいわゆる東北3省に集中している。中でも州都・延吉市を中心とする延辺朝鮮族自治州には、3省の朝鮮族人口183万人のうち、43%の79万5000人が暮らしている。
同自治州は6市2県で構成され、総面積は4・3万平方㌔で、韓国の43%に及ぶ広さだ。朝鮮族の中心的な世代は4世と5世で、韓国語と中国語を自在にこなす。出身地は北韓の咸鏡道や平安道に加え、意外にも慶尚道からの移住者が多い。
就業別人口構成では移住初期に苦労した農民が10数%と少なく、製造業者、サラリーマンそして州および市・県政府の職員をはじめとする公務員が多い。
自治といっても主権的な自治ではなく、あくまでも中央政府から委任された限定的な業務を管掌する行政自治だが、少数民族育成、保護政策がしっかりしている。
各級政府の長および主要幹部の半数以上は朝鮮族で占めることが条令化されており、公的機関の文書はすべて朝鮮語と中国語を併記する。特に小中学校では朝鮮語学習も義務付けられている。そのことと関係するのだろうか、ビル名や商店の看板などもほとんどが朝鮮語と漢字が併記され、独特な雰囲気を醸し出している。
教育機関が充実
教育機関も充実しており、中国最初の大学で朝鮮族の高等教育を目的とする延辺大学は、国家重点大学に指定されている。朝鮮語と中国語を教授言語とし、毎年5000人の人材を輩出する。民族博物館には、古代の遺物、清朝初期に始まった移住の歴史から抗日闘争、伝統風俗などをパネルと写真、蝋人形で展示し、民族精神の継承発展の場として重要な役割を担っている。
日刊新聞はもちろん、テレビとラジオ局からは終日朝鮮語による放送が流れ、最近では韓国ドラマやK‐POPが人気だという。
延辺朝鮮族自治州は、かつて100万人を超す人口を擁していたが、年々人口が減少、漢族との比率も逆転し、深刻な問題を抱えている。
朝鮮族は少数民族保護の観点から、他地域とは異なり子供を2人まで持つことができる。人口の減少は自然現象というよりも経済発展による生活水準の向上、それとは反比例した貧富の格差に起因しているらしい。
経済的には、かつて底辺層にあった延辺自治州が中国の辺境で最も発展し、豊かさを享受するようになった。そのきっかけは1992年の韓中国交正常化だ。
変えた対韓認識
中央政府の改革開放政策も作用したが、国交正常化で最も大きな恩恵を受けたのが朝鮮族だ。自治州には韓国からの直接投資が急増、わずか20年余で街並みはすっかり変わった。繁華街やオフィス街にビルを構え、ホテルや百貨店、あるいは大型飲食チェーンを経営する「勝ち組」が相次いで誕生した。
国交正常化と直接投資の急増は、朝鮮族の対韓認識を大きく変えた。それまでは、韓国から人が尋ねてくると、公安に通報されるのではないかと逃げ回っていたのが、今では韓国に出かけ、事業をする人が増える一方だ。また、以前は韓国を「南朝鮮」、北韓を「北朝鮮」と呼んでいたが、「韓国」「北韓」と呼称も韓国式に変わった。
しかし、経済的な発展は朝鮮族にマイナス面ももたらしつつある。余裕ができた朝鮮族が別天地を求めて北京、上海などの大都市あるいは海外に移住した。仕事とよりよい生活を求めて韓国、米国、日本へと流出する人が増えたことで、人口減少が顕著になった。
漢族の大量流入
半面、商機と仕事を求める漢族の大量流入を招いた。双方の人口比率は20数年前までは朝鮮族が半数を超えていたが、今や比率は逆転した。昨年の時点で、朝鮮族の比率は35・6%にまで落ち込んだ。
中国の自治に関する法律によると、自治が認められる下限ラインは少数民族が30%以上となっており、比率の大幅な逆転は自治州の根本である民族的自治を脅かすことになる。州および市政府はその対策に頭を悩ましている。
(2013.10.16 民団新聞)