東日本大震災は国際社会にも大きな衝撃をもたらした。凄まじい津波被害、その影響が計り知れない原発事故、そして風評による被害も馬鹿にならない。さらには、政局混乱による政治被害も加わった。被害が広範囲かつ長期化するなかで、日本の命運をかけた復旧・復興がどう進むのか、世界が注目している。中学校教科書の採択は、日本が一変したと言ってよく、パラダイムシフト(社会の規範や価値観が変わること)が起きようとする中で行われる。史実を記述も巧みに歪曲した歴史教科書を、これまた巧妙な手法で採択しようとする動きが目立つ。歴史教科書採択問題にまつわる日本社会の空気について本紙記者が語り合った。(編集部注=歴史認識をめぐって保守・守旧・右翼、革新・進歩・左翼といった言葉が多用される。ここでは便宜上、原則として前者を右派、後者を左派とする)。
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未来図なき回帰志向
民主主義の破壊いとわず
A 大阪府議会で全国初の「君が代起立条例」が成立した。市町村立を含む府内の公立学校の教職員に対し、国歌斉唱時の起立を義務づけ、府施設での国旗の常時掲揚も義務づける。
地域政党の大阪維新の会(代表・橋下徹大阪府知事)が提案した。公明、自民、民主、共産の各会派は反対し、自民からは1人退席者が出ている。「府教委が起立斉唱を指導しており、条例化は不要」というのが反対側の最終抵抗ラインだった。これさえも押し切った。
大型日章旗で過渡な威圧も
B 生野区の真ん中の、児童の大半が同胞だった小学校の30年近く前の卒業式を思い出す。練習に練習を重ね、防衛大学の卒業式かと思わせるほど、一糸の乱れもない儀式だった。
同胞児童の卒業証書は本名を義務付けられていて、名前を呼ばれると軍隊式に1人ひとり膝を高く上げ、両手を大きく振ってステージに上がる。ステージの正面中央には4畳半分はあろうかという大きな日章旗が壁面を覆い、その手前の演壇には校長が厳めしく立っている。
つまり、卒業生―校長―日章旗が一直線になり、卒業生は証書を授与された後、ほぼ90度のお辞儀をするが、それが日章旗への深々としたお辞儀になる。同胞卒業生と保護者に、「韓国・朝鮮人…のど真ん中でも、ここは日本だ。それを忘れるな」という威圧であることは明らかだった。
C なるほど、「ここは日本だ」か。すると、大阪府の新条例はさしずめ、日本人に対しても「ここは日本だ」と念を押し、「日本人らしく」あることを迫るものと言える。違反者に対する免職を含む懲戒処分を盛り込んだ条例を9月にも提案するらしい。1947年まであった「不敬罪」を思い出す人もいるはずだ。
B 橋下府知事は条例成立後、「校長の職務命令に、組織の一員である教員が従うのは当たり前。校長がリーダーシップを発揮できる普通の組織にする一歩が踏み出せた」と語った。
日本の学校の軍隊をモデルとした本質は今も変わらない。服装や髪形の細かな規定、全員参加の不文律など形式的秩序の尊重、そして絶対服従。いわば聖域だ。そんな学校現場で、当局の意向に従う校長の職務権限が強化されることになる。
「私」の領域に国家主義浸食
A 歴史教科書や国旗国歌の問題は、①グローバリゼーションの進展によって日本の伝統的な価値観が侵されている②家庭や学校の崩壊が進み、地域共同体や社会全体が瓦解しつつある③韓国、中国の経済的躍進、なかでも中国の軍事的台頭が著しいにもかかわらず、日本には強力なリーダーがいない―といった危機意識から派生した。
B 右派は日本の現状の悪しき部分―もちろんこれは自分たちの価値観に基づいてだが―を「戦後民主主義」の責任に転嫁してきた。「公」と「私」の力関係を逆転させたとして、ジャック・ランシエール著の『民主主義への憎悪』ではないが、「戦後民主主義」を憎悪の対象にしている。
これは明らかに、民主主義の破壊をいとわない態度だ。現実に、「公」の国家主義化が進み、「私」の領域にまで、大した抵抗もなく浸食してきた。歪んだ歴史教科書が検定を通り、卑劣な方法で採択され、「君が代起立条例」が成立するなどはその端的な証と言える。
C 歴史認識では例えば靖国神社参拝など、近隣諸国向けの建前と国内向けの本音という二重基準があった。その使い分けさえなくなった。かつての「強い日本」に回帰すべく、もっとも安価な国民統合の手段として、歴史賛美やナショナリズムを動員することに自制がきかなくなっている。
まさしく右翼ポピュリズム
A 志と覚悟のある剛腕な国家のリーダーを求める空気が強い。そうならんと欲する地方の首長も目立つ。「右翼ポピュリズム」とも言える現象が広がっているのが今の日本だ。
C 平和・人権・共生といった価値観は、人類が紆余曲折を経て普遍化してきた。とは言え、その規範はまだ強固でなく、踏みにじられている現実も多い。粘り強く追求すべきものだが、こうした普遍的な原理に訴える主張を、どことなく胡散臭く、偽善と受け取る心性が蔓延している。こうした人たちには、日本の現憲法もその一つに過ぎない。
したがって、それらにあからさまに異を唱える態度、つまり右派的なナショナリズムこそが支配的な規範に抗うものと受け取られ、魅力的に映りやすくなった。
A 若者の間に国家主義的な意識が高まっている。社会・地域などの帰属性、集団性が曖昧になり、その反動で個々人が精神的に「国家」「公」にすがる姿がある。帰属性とか集団性は、若者たち自身がエゴによって否定しているにもかかわらずだ。
こういう若者は個々は軟弱で、スクラムを組んでの集団運動は嫌いでも、ネットの世界では右派の過激な独り戦士に変身できる。
B かつて「自由から自由になるために」、ナチ運動に身を投じた若者たちがいた。個人としての責任から自由になるために、共通の憎悪の対象を求めるために、だ。しかし、ネットの世界で右派の戦士に成り切る若者たちは、「公」を強化して社会を統制すべきだと言いながら、あくまでも自分は自分でいたい、という身勝手さがある。
こういう若者におもねり、右派ブームを追い風にしようとする傾向が一部指導者にある。まさしく「右派ポピュリズム」だ。これがかつて、日本を破滅に追い込んだ。
C 「戦後民主主義」は限界に達した、いや初めから不当だったと言う右派にもビジョンがあるわけではない。現状に対するアンチから、伝統回帰に、いわば過去の焼き直しにすがっている。
何が軸なのか見えない現実
A 愛国心は普通、大きく二つに分けられる。一つは、自由な個々人が結合してつくった公共社会が国家だと考え、その制度や理念への愛着を感じる市民的な愛国心。もう一つは、土地や血のつながりに国民のアイデンティティを求める民族的な愛国心だ。
日本では、この二つのうちシビックな愛国心が形成されないまま、エスニックな「愛国心」を独り歩きさせてきた。右派が描く強いリーダー像とは過去の、民意に関わりなく国を率いた明治の指導者らに傾く。
C 日本社会の右派的な人脈は、同じ敗戦国でもドイツとは違って、戦前からの連続性が断ち切られていない。天皇を中心とする独自の「国体」とその「連続性」に依拠した自国中心の優越史観をむしろ、世襲政治家を中心に共有・再生産させることを許してきたことが大きい。
B かつて、支配的な価値観や規範に対して反抗的なのは左派だった。 左派は、広がりのないエスニックな右派を軽蔑した。右派は逆に、左派は神聖な伝統を冒していると見た。安保問題などで葛藤が繰り返された。
それでも、東西冷戦があり、55年体制があって、右派の与党、左派の野党の力関係が安定し、経済成長が続いた。右派には余裕があった。だが、冷戦・55年体制が相次いで崩壊し、バブル崩壊後の経済停滞も重なって、日本は混迷を深めた。左派が地盤を沈下させたにもかかわらず、右派系が新機軸を打ち立ててはいない。右派と左派の敷居も曖昧で、何が軸なのか見えにくい。フラストレーションがたまっている。
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新たな軸求め葛藤
座視できない「危うい日本」
A 東日本大震災によって日本は、経済的な打撃のみならず、精神的な打撃を受け、誇りが傷ついた。再起を期すには強いリーダーと結束が必要というのが了解事項になっている。そこに新たな落とし穴がある。
B 東日本大震災は国民的結束を叫ばせた。原発事故問題では国際社会への責任は免れない。日本人がネーションという枠の中にいっそう閉じこもる可能性が指摘されている。一方で、日本が再起するには世界の、中でも近隣諸国の協力が欠かせないことも示した。
パラダイムシフトが進む過程で、新たな軸を求める動きはこれから活発化する。グローバル化とネーションへのこだわりか、当分せめぎ合いが続くだろう。
右傾教科書に退かぬ決意で
C 価値観や生活様式が多様化して久しく、富国強兵時代のように、特定の人たちが意図する方向へ学校や社会が凝固することはない。近隣諸国を見下して、身内だけで通用する優越史観をもった人物は国際社会では通用しない。アジアは日本が「君臨」したかつてのアジアではない。一筋縄ではいかず、葛藤は強まるだろう。
A 日本の未来が危うければ、在日の未来も危うい。長い闘いが予想される。したがって、たかが教科書だ、教え方でどうにでもなると考えたら足をすくわれる。一歩も退かず、まずは、右派丸出しの教科書を再びの惨敗に追い込むことだ。
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恥も外聞もない悪質な記述
侵略を「解放戦争」に…自由社・育鵬社 粉飾・美化目立つ
特に問題になっているのは、「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社版と、「つくる会」から分派した日本教育再生機構=「教科書改善の会」の育鵬社(扶桑社の子会社)版だ。
太平洋戦争で敗北した日本は、軍部主導の全体主義体制の下に侵略・戦争に突き進んだ反省から、戦争放棄と平和主義を宣言し、世界の人々から信頼される国となることを憲法で誓った。
「戦後50周年」に際した村山首相談話でも、「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を進んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛をあたえ」たとし、「痛切な反省の意」を表明した。
この部分で、自由社は「大東亜戦争(太平洋戦争)」、育鵬社は「太平洋戦争(大東亜戦争)」との項目を立てた。「大東亜戦争」とは、当時の軍国主義政府がアジア諸国を欧米の植民地支配から解放するための正義の戦争であるかのように喧伝するために命名した。見出しからして、無謀な不正義の戦争を美化しようとする意図が露骨だ。
実際の記述でも育鵬社は、「国民の多くはひたすら日本の勝利を願い、励まし合って苦しい生活に耐え続けました」「戦争初期のわが国の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立への希望を与えました」とし、タイとの同盟、インド国民軍、インドネシア義勇軍との協力を強調。自由社も同様の記述に加え、「「アジアの人々をふるい立たせた日本の行動」、「日本を解放軍として迎えたインドネシアの人々」と題するコラムを設けた。
両社とも、「アジア解放戦争」なるものが欧米を追い出し、日本がその後釜に座ろうとする侵略戦争であった本質を隠し、美化・正当化することに余念がない。
韓半島の支配権を確立し、大陸侵略の橋頭堡を確保するための日露戦争を、「生き残りをかけた戦争」と言い、それに勝利して「安全保障を確立」(自由社)したとうそぶく。隣国を軍靴で踏みにじっておきながら、ここでも両教科書はロシアに勝利した日本がアジア諸民族に勇気を与えたと自賛する。
昨年8月、日本による韓国併合から100年の節目に際し、菅直人首相は閣議決定を経て談話を発表、「歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたい」と述べ、「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明」した。
この韓国併合についても、記述の悪質化が目立つ。自由社は「学校も開設し、日本語教育とともにハングル文字を導入した教育を行った」と書く一方、後に朝鮮語教育を禁止したことには触れていない。
育鵬社は現行教科書から、土地調査事業で土地を奪ったとの記述を削除したうえ、併合によって人口や耕地面積、米の生産量が増えたことを示すグラフを載せ、朝鮮が豊かになったかのように印象づける。日本の殖民企業や個人が広大な土地を所有していたこと、増産分以上が日本に供出されていたことには目を背けた。
両教科書は、日本は世界で最も長い歴史を持ち、安全で豊かな国であり、見事な文化を築いた、と自賛するだけでは足りず、韓国や中国などを貶めることをいとわない。近隣諸国の脅威を強調し、過去の侵略・戦争を正当化しつつ、今後への危機を煽りながら、(天皇を中心に)国民を統合しようとする勢力の意図を代弁している。
(2011.6.8 民団新聞)