「サラメシ」という深夜番組を観ていました。様々な分野で働く人々のお昼ご飯のリポートです。料理への思い入れや家族との思い出、著名人や故人のエピソードが、軽妙なナレーションと共に映し出されます。
これがとてもいいお味で、塩梅がよろしくて。あるIT企業の社員さんたちのお昼です。月一回、社長さんと社員さんたちが手料理で持ちよりランチです。
パン、ロールキャベツ、ハム。エエー! これも手作り? すごーい! 今時の料理大好き美男がここでも揃って手料理を披露します。ホント楽しそう。それにとても美味しそう。私も食べたあーい。
次に紹介されたのは、横浜鶴見区の總持寺です。典座という食事を司る役僧さんが作るのは、筑前煮に青菜の胡麻和えなど150人分です。大きな釜が煮えたぎって、役僧さんの額にも汗が一杯。食前には僧食九拝があります。三三九度ってのは知ってるけれど、これって何?
これが早足の韋駄天や、僧の皆さんに捧げる食前のご挨拶なんです。日々命を頂戴する、数多の食材への感謝でもあるんですね。役僧さんが、やおら跪き両手の平を天に向けて額づきました。それが我が家の祭祀の作法大礼とまるでソックリです。
総持寺は、元は石川県鳳至にありました。天平時代に行基が草創しています。父君は高志才智で、百済の渡来人ですね。彼は河内に生まれました。民衆の救済のため橋を架け、堤や池作りに奔走して行基菩薩として慕われました。その功績を認めた聖武天皇は、平和祈願のため東大寺の大仏建造を命じます。
そして、日本で最初の大僧正の最高位を授けられました。大仏は10年の歳月を経て完成します。日本仏教界の彼は、四天王なんですよ。真言宗から曹洞宗へ僧食の儀式は、行基による百済の作法かしら。
6歳頃だったでしょうか。大晦日の祭祀の夜です。眠っていた私は父に揺り起こされ、それでも未だ眠っています。父は仕方なく再び寝かしつけます。当時の同胞の家で殆ど見かけなかった温突があって、床の固い感触を今も覚えています。
父は多分知っていたはずよ。私が実は寝たふりしているんだって。終わると、母が起こしてくれた。
私は一人遅れて祭祀の大礼を済ませると、父の膝で箸をつつきます。阿山村(現伊賀市)で、ただ一軒の非農家の韓国人家族が営む、年毎の祭祀の風景でした。
あれは私の勝手メシ、いえ反則メシ? それとも… 何と付けましょう。明日のランチはナムルを一杯作ってビビンパと若布スープに決まり。それはそして遺影の傍らで。
李正子(歌人)
(2011.6.29 民団新聞)