三一節記念式典を開催

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4年ぶりに動員制限なしで開催
民団愛知県本部(河隆實団長)の第104周年三一節記念式典が3月1日、民団愛知県本部で開催され、来賓として駐名古屋大韓民国 金星秀総領事らと民団関係者合わせて150人が参加しました。これまで新型コロナの影響で動員制限をかけてきましたが、4年ぶりに制限を解除して開催しました。
記念式典では、名古屋韓国学校の李孝心総務主任による「己未独立宣言書」の朗読、金星秀総領事による尹錫悦大統領の記念辞代読や、民団愛知県本部の河隆實団長のあいさつに続いて、決議文の採択が行われました。

第二部では映画「雪道」を上映
式典終了後にはこちらも4年ぶりとなる第二部を開催、映画「雪道」を上映しました。

第104周年三一節決議文
本日、第104周年3.1節記念式に参集した私たちは、民族の独立と自由と平等、平和の理念を掲げ立ち上がった先烈たちの崇高な愛国精神と3.1運動の今日的意義を深く刻み、その不屈の民族意思を確認した。
私たちは、偉大な民族精神を受け継ぎ、大韓民国の繁栄と平和統一に積極的に参与すると共に、同胞社会の和合と次世代育成に一層尽力し、韓日友好増進の架け橋としての役割を果たしていくことを確認し次の通り決議する。

一.私たちは、民族の独立、自由と平等を掲げ、立ち上がった3.1精神を継承し、韓半島の平和安定と繁栄に寄与する
一.私たちは、在日同胞の生活と権益を守り、組織基盤の強化を通じて、未来を担う次世代育成に尽力する
一.私たちは、へイトスピーチを根絶し、多様な人々が共存する多文化共生社会の実現に邁進する
一.私たちは、韓日関係の改善を促進し、韓日友好増進に積極的に寄与する

2023年3月1日 第104周年3.1節愛知県記念式 参加者一同


三一独立運動とは?
1919年3月1日から約1年間にわたって続けられた、日本帝国主義の植民地支配に反対した韓国(当時は朝鮮)「民族」の独立闘争。1910年の「併合」後、韓国人民は日本国帝国主義の苛酷な弾圧と搾取によって、悲惨な運命にさらされました。そして、韓国人民の抵抗はしだいに活発化しはじめました。面事務所(役所)や憲兵分遣所を襲撃する農民暴動がおこり、1917年以降労働組合の結成がすすみ、1918年からは労働者のストライキも急増しました。それにロシアにおける社会主義革命の影響が加わり、第一次世界大戦後の世界的な革命的雰囲気のなかで、韓国民衆の独立運動にあらたな高揚をもたらす契機となりました。

2.8が3.1の導火線に
1919年2月8日東京留学生による独立宣言発表(二・八独立宣言)を受け、3月1日、韓国国内における「民族代表」33人により、京城(現在のソウル)・パゴダ公園で独立宣言書が朗読されました。すると韓国民衆の憤怒は、日本の「帝国主義侵略者」に対する全民族的な反日蜂起となって爆発しました。ソウルでは数十万の群衆が大規模な反日示威を決行し、「独立万歳」を絶叫しながら街頭に繰り出しました。三一独立運動の烽火はまたたく間に全国津々浦々に燃ひろがり、満州と沿海州・日本・ハワイなど韓国人の居住する海外各地にも波及していきました。民衆の激烈な示威闘争におそれをなした日本の「侵略者」は、警察・憲兵・軍隊を総動員して示威群衆にたいして銃弾をあびせ、多くの愛国者を虐殺しました。
しかし、民衆による大衆的な示威運動は、血の弾圧にも屈せず、怒涛のように前進しながらその闘争を高めて行きました。民衆は斧や棍棒で「日帝」の憲兵分遣所・警察機関・地方行政機関などを襲撃破壊し、一部の地方では武装闘争も展開しました。この闘争は1年間もつづき、200万人以上の民衆が参加しました。そのため「日帝」の統治機関からは一時完全に麻痺状態に陥いりました。韓国民衆の挙族的な闘争に直面してあわてふためいた日本の帝国主義者らは、韓国駐屯の日本軍に加えて、4月中旬からは日本からも軍隊を増派して、非武装の民衆に「暴圧」を加えました。

水原・提岩里教会における虐殺
1919年4月におこった水原虐殺事件はこの一典型です。これは日本人の官憲がソウル近郊の水原付近にある提岩里教会に村民を監禁して放火し、必死に逃げ出す村民を無残にも射殺した事件です。日本人の官憲はその後も3日間にわたって放火と虐殺をつづけ、数千名を殺りくし数百の民家を焼き払いました。ソウルにおいては蜂起参加者を十字架台にはりつけ虐殺しました。こうした事件は全国各地で繰り返されました。

おびただしい数の犠牲者が…
3.1独立運動で犠牲になった民衆は1919年3月から5月までの3カ月間だけでも死者7,509名、負傷者1万5,961名、被検挙者4万6,948名に達しました(総督府発表)。負傷者や被検挙者のなかから、その後拷問などで多数の死者が出たことを計算に入れると虐殺された人の数はずっと多くなります。結局、三一独立運動は韓国民衆の頑強な闘争にも関わらず、成功するには至りませんでした。しかし、この闘争は韓国民衆の反日民族「解放」闘争史上、輝かしい地位を占めるもので、多くの教訓を残しました。
この騒動を通じて韓国民衆は「植民地」民族の解放闘争は、必ず民族の主体的力量と組織に依拠してのみ、成功するという教訓を体得しました。

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