掲載日 : [2002-12-04] 照会数 : 4155
昨年末、お正月企画として朝鮮通信使のすごろくを作成、全国の新聞社に配信した。朝鮮国王の命を受けソウルを出発した一行が、波乱万丈の船旅や街道行列を経て江戸で将軍と対面、友好の国書を届けていた史実をゲームにしてみた。
各社の評判が良く、今年は別のテーマのすごろく作りに追われている。
さて昨年は日韓の通信使ゆかりの地を訪ねて取材した。両国とも陸路は今も交通の動脈で難なく行けるのだが海路は大変だ。当時栄えた港町はたいてい岬の周辺で道路の便が悪い。そのかわり昔の町並みが破壊されておらず、江戸情緒が残っている。各地に通信使の資料館などがあって楽しい旅だった。
そんな中、釜山で知り合ったシンクタンクの研究者に「倭館」の旧住人探しを頼まれた。江戸時代、日本唯一の外交公館だった倭館関連施設の一部を再建しようという運動があり、戦時中までそこに住んでいた日本人を見つけて建物の写真や資料を提供してもらいたいという話。やがて旧住人の日本人を川崎市で見つけることができた。
最近、「倭館―鎖国時代の日本人町」(田代和生著、文春新書)という面白い本を目にした。隣国同士が300年近い平和を保つという当時としては世界的にもまれな成果を上げた江戸時代の日朝外交。舞台裏にはさまざまなトラブルや文化摩擦があった。外交文書の偽造など当たり前で「平和とは一種の戦争状態である」であることが理解できる、ぎりぎりの交渉の連続だった。隣国関係が下手な日本。江戸時代に見習えば打開の道が開けるのでは?と最近、真剣に考えている。
(2002.12.04 民団新聞)