掲載日 : [2003-01-01] 照会数 : 5172
わが家の民族教育2 金武さん一家(東京豊島)(03.01.01)
[ 両親と一緒に韓国の児童教育用ビデオを見る姉妹 ]
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小学生姉妹に〞短期留学〟
金 武さん一家(東京豊島)
「自分の子どもは韓国人として育てたい」。9年前、鄭和子さん(35)は生まれたばかりの長女を前にして自らの思いのたけを夫に語った。妻の提案に金武さん(34)も異存はなかった。和子さんは順応性のある幼少時からわが子に韓国語を習わせたかったという。
結婚前、韓国人を名乗りながら韓国語を十分に使いこなせないために韓国に行って親戚から「日本人」と言われた口惜しさを忘れられないでいたからだった。
和子さんは自らの体験にあてはめてみても、語学の習得は自然な環境作りが一番大事だと考えている。だから現在9歳の佳麟ちゃんと7歳の美悠ちゃんの2人の子どもたちには幼いころから家では韓国で購入してきた各種の教育用ビデオを流し、初歩的なハングルも教えた。
長女が生まれたのは名古屋に在住していたときのこと。学齢期になって就学先の選択を迫られたが、名古屋には総連の朝鮮学校しかなかった。しかたなく長女は地元の公立小学校に通わせた。その後、一家で東京・豊島区に移り住んでからは迷うことなく子どもたちを東京韓国学校に通わせた。長女は初等部3年からの編入、2歳違いの次女も一緒だった。
次女は初等部1年生から入学したこともあり、比較的早く「韓学」での生活に慣れ親しんでいった。一方、長女のほうは韓国語の授業についていけず、人知れず苦しんだようだ。
和子さんは慣れない学校環境で戸惑う子どもたちの負担を少しでも軽くしてあげようとした。それには「やらせる」のではなく、「一緒になってやる」姿勢が大事だと思うようになった。
子どもたちが宿題を持ち帰ると一緒になって辞書を引きながら取り組んだ。母親が共に学ぶ姿勢を示すことで、2人の子どもたちも否が応でも頑張らざるをえなかったようだ。
「韓学」入学から1年たった02年、長女を受け持っていた担任の金松貞先生が、和子さんに韓国に「留学」させてみてはどうかと勧めてくれた。和子さんは「思い立ったらやらないと気がすまない」性格。夫の武さんの了解を得ると早速、2人の「留学」の準備にとりかかっていた。
期間は2カ月間。2人は昨年、3月の新学期からソウル江南区の公立小学校に通った。長女は4年、次女は2年生からの編入だった。幸いなことに入学初日から多くの友だちに恵まれたせいか、言葉のハンディをものともせず、2人はすんなり学校生活に順応した。
「留学」を終えてから2人の子どもから韓国語が自然と口を突いて出るようになった。発音も流ちょうだった。和子さんですら子どもたちから発音を矯正されるほど。金先生も「私が韓国語で言うことは全部分かるようになった」とびっくりしている。いまは「韓学」の授業にも戸惑うことはなくなったという。
和子さんは在日同胞の集住する川崎市桜本生まれの在日3世。民族意識の強いオモニのもとで育てられ、幼いころから親戚の家で行われるチェサにも当たり前のように参加してきた。
しかし、自ら「韓国人」だと胸を張れるほどのものは持っていなかった。それが和子さんのコンプレックスとなっていた。だから、高校に進学してオモニが和子さんの知らない間に本名で登録したことを知ったときはオモニに抗議し、自ら通称名に戻した。
転機となったのは高校卒業後、米国へ留学してからだった。自分は何者なのだろうかと真剣に悩んだ。思い悩んだ末、やはり自分は韓国人として生きたいし、本名でありのままに生きたいのだと気づかされた。帰日してからしばらく働き、旅費をためて今度は韓国に語学留学した。期間は3カ月間。このとき、同じ留学仲間だった武さんと知り合った。
和子さんは、自ら思い悩みながら在日韓国人としての自己を取り戻した世代。しかし、子どもたちには自然な形で韓国人としての自覚を育んでもらいたい、と奮闘してきた。
そんな和子さんを見て武さんは一時、「民族心が強すぎる」と揶揄したこともある。それに対して、和子さんは「自分が子どもをどう育てるか、真剣に考えた結果でした。いまは肩の力も抜けて自然な感じで子育てに専念できるようになりました」と笑った。
(2003.01.01 民団新聞)