掲載日 : [2023-02-15] 照会数 : 18991
長生炭鉱 水没事故から81年追悼式
〝遺骨収集一日も早く〟
韓国人遺族「胸が張り裂けそう」
【山口】1942年に宇部市西岐波床波海岸の海底で起きた長生炭鉱での落盤水没事故から81年。犠牲者を悼む集会が4日、韓国から3年ぶりに遺族を迎え、現場近くの追悼ひろばで営まれた。市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(共同代表=井上洋子・佐々木明美)が主催。関係者ら170人が献花に加わった。
犠牲者183人のうち、136人が戦時中に韓半島からの徴用、ないしは生活苦から渡日を余儀なくされた同胞だった。長生炭鉱が別名、「朝鮮炭鉱」と噂されたゆえんだ。犠牲者全員の遺体はいまも冷たい海の底に眠ったまま。2013年、刻む会が広場に建てた追悼碑には183人全員の名前が刻まれている。
長生炭鉱水没事故は偶然ではなく、起こるべくして起きた事故だったとされる。アジア太平洋戦争のさなか、日本政府は戦争遂行のために出炭量増加を奨励し、海底採掘制限を禁止した規定条項に違反してまで長生炭鉱の操業を強行させた。それだけでなく、事故予防のための安全規定を無視し、坑道の支え柱を取り除いてまで無理に操業した結果の事故だったからだ。
追悼式の冒頭あいさつで「刻む会」の佐々木共同代表は「国策の犠牲者であるゆえに、行政や日本政府の責任も問われている」と指摘し、遺骨収集と遺族への返還に向けた1日も早い取り組みへの理解を求めた。
長生炭鉱犠牲者大韓民国遺族会の楊玄会長は当時20歳の叔父を亡くした。楊会長によれば、警察の巡査から徴集を受けたという。刻む会が課題としている遺骨収集には「胸が張り裂けそうなくらい」期待していると述べた。
遺骸は海底の坑口付近と、ピーヤと呼ばれる海に突き出た2本の排気口近くに埋もれていると考えられる。しかし、場所を特定するためには土地を所有する関係者の許可を得ることが前提。また、許可を得て、発掘できたとしても民間の力では及ばない莫大な費用が想定されている。
大韓民国遺族会の孫鳳秀事務局長はピーヤ前の海岸沿いの土地を使用できるようしてほしいと要望しながら「遺族会が土地を買ってでも犠牲者の遺骨を発掘してみたい」と悲痛な声を上げた。
追悼式には駐広島大韓民国総領事館から林始興総領事、民団山口本部から徐鶴奎団長が参列した。
(2023.2.15民団新聞)